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非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
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スレッドオーナー: 健太
:2021/12/17 (金) 08:01 ID:7n.tKmYE No.49797
- ここにはたくさんの方がいろんなことを書いていらっしゃいます。
私と妻の経験談は在り来たりの物です。面白くなければスルーしてください。 私は上田健太と申します。昭和43年3月生まれの53歳です。兄弟はいません。 妻の名前は利佳(りか)です。昭和42年4月生まれの54歳です。ですから同学年です。 妻も一人っ子です。 私達に子供はいません。 私は立つものも立たなくなってきましたが妻は現役です。 この年になっても男たちと遊び狂っています。 私はそれを見ながら立たなくなったものを立てています。 私達は中国地方の日本海側の小都市に住んでいます。 私は父から受け継いだ会計事務所を生業としています。 男性従業員が三人と女性事務員が四人の小さな会計事務所です。 まあ何とか儲かっています。
先ずは私が3歳のころからの話から始めます。 何しろ50年前の事なので記憶も定かでは有りませんが、忘れないうちに書いておきます。
私の家は住宅街の中に有りました。細い路地を隔てて向かいに女の子が住んでいました。 将来の私の妻になる利佳です。 夏の暑い日だと思います。 私は庭で母が用意した盥で行水をしていました。そこに利佳がやって来ました。 眼は大きくて可愛かったのですが、いつも私を観察するような眼でジロジロと見ていました。 私は手に小さなブリキの船を持っていて、それを水に浮かべてパシャパシャやっていました。 その小さな船に目を留めた利佳が「健太、船、貸して」 「いやだ!」 その時、利佳が私の陰茎を握って「尻尾、尻尾」と囃しながら私の陰茎を根元から引っ張りました。 その痛さたるや、今でも忘れません。 「やめて!利佳ちゃん!やめて!」私は泣き叫びました。 母と立ち話をしていた利佳の母親が飛んできて「あんた、何をしてるの!」 「健太の尻尾、アハハハハ」 「それは尻尾じゃありません!健ちゃん、ごめんなさいね、利佳ちゃん、健ちゃんをいじめてはいけません!」 この事が私と利佳の上下関係を決定付けました。
そんな事が有って私は利佳と出会うと慌てて隠れるようになりました。 でも近所に小さい子がいなかったので必然的に私は嫌々ながら利佳と遊んでいました。 幼稚園から帰って利佳が家に遊びに来ました。 母は庭で洗濯物を干していました。 私は利佳から隠れるようにしていました。 「おい、健太、尻尾、見せてよ」「いやだ」 利佳が拳を振り上げて「なに〜〜」 私は恐れをなして急いでズボンから陰茎を引っ張り出しました。 すると、なんと小さな陰茎が立ったのです。 「わっ!健太、尻尾が大きゅうなった!」 そして陰茎を物珍しそうに見て「はあ〜〜、男はこんなになっとるんか〜〜」 その時の事ははっきり覚えています。
それから幼稚園の年長組の時でした。 或る日利佳が私の家に来て「なあ、健太、尻尾なあ、ヘヘヘ、見せてよ」 「いやだ………でも利佳ちゃんも見せてくれたら………見せてもいい」 すると利佳がニヤニヤっと笑って「あんたのお母ちゃんは?」 「買い物に行っとる」 「あんたは尻尾が有るけど、うちは無いんよね、ヘヘヘ、それでもええんなら………」 「女には尻尾が無いんか?」「無いの、どうする?」 「ええから見せて」 利佳は短いスカートを腰のあたりまで捲ると横から指を入れてパンツをずらすと「これ、ヘヘヘ、あんたも見せて」 「わっ!切れちょる!どしたんか?痛かろう」 「ばか!女はみんなこんなになっちょると思う」 私と利佳はそれからも何度かお互いの陰部を見せ合いました。 私はズボンの穴から陰茎を出して「ヘヘヘ、これでええか?」 「あ、大きゅうなってきた、なあ、健太、皮を剥いで見せてよ」 「こうか?利佳ちゃんも………」 利佳は指で陰部を広げて「エヘヘヘヘ、こうか?これでええか?なんか恥ずかしい」 「利佳ちゃん、そのビラビラはなんかいの?」 「やらしい、エヘヘヘヘ」 私も利佳もその時座って見せ合っていたのか、立って見せ合っていたのか、もっと詳しく書けばいいのですがよく覚えていません。
私は小学校二年生になっていました。 その頃になると私も男と女が何をするかおぼろに分かっていました。 そして私も利佳もお互いを異性として意識するようになっていました。 そんな或る日の事です。小学校二年生の3学期が終って春休みだったと思います。 私は母の言いつけで回覧板を持って利佳の家に行きました。 さらさらと雨が降っていました。 玄関から入ろうとすると鍵が掛かっていました。 私は雨の中を帰るのも面白くなかったので裏に回りました。 すると利佳が縁側の上でうずくまって障子の陰から中を覗き込んでいました。 利佳が私に気がついて片手の指を唇に当てて「しっ!」 部屋の中から里佳の母親の泣くような声が聞こえてきました。 私は利佳のお父さんとお母さんが喧嘩をしているのだと思いました。 私は小さい声で「利佳ちゃん、お父さんとお母さんが喧嘩しょうるんかいの?」 そして何気なく障子に近寄ると利佳が慌てて「いけん!見たらいけん!」と私を制しました。
その時、わずかに開いていた障子の隙間から中が見えました。 布団の上で利佳の母親が裸で裸の父親と抱き合っていました。 そして父親の声が聞こえてきました。「ええか?ええか?俺のチンポはええか?」 今度は母親の声で「ええ、ええ、あんたのチンポええ、あ〜〜〜〜〜〜」 その時、私は見てはいけない物を見てしまったと思いました。 私は気まずい思いで「利佳ちゃん、お父さんとお母さん喧嘩しょうてんかと思うた、これな回覧板、お母さんに渡しといて」と急いでその場を立ち去りました。 その時、利佳は泣いているような笑っているような複雑な表情で「健太、ありがとう」
それから二、三日後に路地で利佳と出会いました。 「ヘヘヘヘ、この前はありがとな」 「回覧板ぐらいで………どうってこたあないで」 「ヘヘヘ、健太、あんた、思うたよりええ人じゃね」 「ヘヘヘヘ、まあの、お父さんとお母さん、仲直りしたか?」 「仲直り言うて………あれは喧嘩じゃ無いけえ」 「わしは喧嘩かと思うちょった」 「うちのお父ちゃんとお母ちゃんは仲がええんじゃけえ、あの時はの、ヘヘヘヘ、お父ちゃんとお母ちゃん、いやらしい事しょうたんよね」 「いやらしい事たあ、なんかいの?」 その時、利佳は下を向いて「あんたに見られたけえ………しょうがないけえ言うんじゃけど………」と利佳はそこまで言うと私の耳元で「あれはの、ヘヘヘ、オメコをしょうたんよね」 「オメコォ〜〜、オメコたあなんなら?」 「あんたはまだ子供じゃねえ」 「あぁ〜〜〜〜〜?」
それから利佳は何とも言えない眼をして私を見ながら「ヘヘヘヘ、あんたのお父ちゃんもお母ちゃんも、オメコしょうりゃぁるけえ、ヘヘヘヘ、あんたが知らんだけよね、なんなら、ヘヘヘヘ、今度、また、いつか見せちゃるけえ、誰にも言うたらいけんよ」
女性が男性よりも早熟なことは知られていますが利佳は特別でした。 私は父母の交合など見たいとも思いませんでしたが利佳はその辺りが少し変わっていました。 利佳と私は同学年でしたが誕生日は里佳が4月6日、私はほぼ1年後の3月28日でした。 利佳はお姉さん気取りで私に接していました。
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Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
健太
:2022/01/22 (土) 13:57 ID:pr83ggRk No.50075
- 夏休みになって、利佳が来ました。
「健太、明日、ウフフフ、海に行かんか?」「ヘヘヘ、ええでよ」 「あのねえ、お願いがあるんじゃけど、エヘエヘエヘヘヘ」 「何か?利佳ちゃんがわしに願い事たあ、珍しいのう」 「あのねえ、水着を着るじゃろう、そしたら、へへへ、横から毛がはみ出るんよね」 「イヒヒヒ、毛を剃って欲しい言うんか?」「ウフフフフ」
私は洗面所から剃刀とシェービングクリームをと水が入った洗面器を持ってきました。 利佳は顔を両手で覆って横たわっていました。 理科のすぐ横に脱いだ下着が丸めて置いて有りました。 可愛いイチゴ模様のパンティーでした。 私はそっとセーラー服のスカートを捲りました。 するといい匂いが漂ってきました。 香水でした。資生堂の「むらさき」という香水でした。 私はクンクンと鼻を鳴らして「利佳ちゃん、ええ匂いじゃね」 利佳が顔を覆った指の間から私を見ながら「お母ちゃんの香水、パクったの、淑女の身だしなみなの」 「利佳ちゃん、もうちょっと脚を広げてえな」 利佳は静かに脚を広げていきました。 その頃になると利佳は羞恥心が芽生えて中学や小学生のようでは有りませんでした。
私は利佳の開いた脚の間に蹲って「利佳ちゃん、どうするんか?横だけにするんか、全部剃るんか?」 利佳が小さい声で「あんた、恥ずかしけど、全部剃って〜〜〜」と言って太腿の内側から手を差し込んで膝を抱え込みました。 利佳の脚は160度ぐらい開いていました。それどころか膝が畳に付きそうになっていました。 「そこまでしなくても」と私が思っていると利佳が「あんた〜〜〜、恥ずかしい〜〜〜、見て〜〜〜、見て〜〜〜、うちのオメコ、見て〜〜〜〜」と言いました。 利佳の口から「オメコ」という言葉を聞くのは久しぶりでした。
私は「見ちょる、見ちょるけえの」と言って陰毛にシェービングクリームを塗って剃刀を使いました。 「ア〜〜〜〜、あんた〜〜〜〜、恥ずかしい〜〜〜〜」 その声は利佳の母親にそっくりでした。
そして、剃り終わって「利佳ちゃん、終わったでよ」と言うと利佳が私にお武者ぶりついてきました。 利佳が「して、して、オメコして」と言いました。 私の陰茎は既に立っていました。 私はズボンとパンツを一緒に脱ぐとすぐに利佳の上に乗りました。 チンポを持って「利佳ちゃん!分からん!どこか分からんようになった!」 すると利佳が私のチンポを握って「ここよ、ここよ、ここを、あ〜〜〜〜〜」 私は利佳の言うままにチンポを突進させました。 入りました、私のチンポが利佳の中にヌルッと入りました。
「利佳ちゃん、痛う無いか?」 「痛うは無い、痛うは無い、あんた〜〜〜」 でも私は、なんという事か、情けない事に、三擦り半どころか、一擦り半で「利佳ちゃん!あ、出る!出る!あ〜〜〜」と射精をしました。 利佳は私にしがみついたままで「ええんよ、ええんよ、出してもええんよ、今日は出してもええ日じゃけえ」と言いました。
私と利佳は次の日になって海に行きました。 私と利佳は自転車に乗って別々に行きました。 「あんた、○○ヶ浜の海に向かって一番左の海の家の前で待っちょくよ、カメラを忘れんでね」 私は父に買ってもらったカメラと着替えを自転車に積んでいきました。 利佳が指定した場所に行くと利佳はもう私を待っていました。 朝早い時間だったので浜辺は子供こそいませんでしたがたくさんの男女で賑わっていました。
「健太、カメラは忘れんと持ってきたじゃろうね」「おう、忘れちゃおらん」 それから利佳は海の家の後ろで着ているものを脱ぎ始めました。 利佳はその時にはもう下に青い水着を着ていました。 利佳の水着を見て私は最初、スクール水着かと思いました。 利佳がスカートを脱ぐと、それは股の所から腰の上まで切れ上がったワンピースの水着でした。 股間をわずかな布が覆っていました。 「利佳ちゃんの水着はすごいの〜〜〜」 「ヘヘヘ、よう似合うじゃろう」
私はシャワー室で水着に履き替える積りでした。 「利佳ちゃん、わしも水着に着替えてくるけえ」 すると利佳が「ええ、ええ、健太は着替えんでもええ、うちの水着姿だけ写真に撮りゃあええんじゃけえ」
それから私は利佳の写真を撮りました。 砂浜の真ん中でしゃがんで、立って、いろんな写真を撮りました。 利佳は笑いながら時には両手でピースサインをしていました。 私達が写真を撮っているところを大勢の人が見ていました。 中にはしゃがんで利佳の股間を覗き込んでいる若い男もいました。
私はチンポを立てていました。 利佳が着ている水着を見てチンポを立てたのではありません。 それも確かに有りましたが、それ以上に利佳が男に見られていることで興奮をしていました。 利佳が私の家の前で別れ際に「健太、これ、上げるけえ、大事にしちょってね」と言って私に小さなビーズで作った指輪を私の左の薬指に嵌めてくれました。 それから利佳もビーズの指輪を左の薬指に嵌めて私に見せました。 私の指輪のビーズは青色で利佳のそれは赤い色でした。 「ヘヘヘ、健太、この指輪はうちが夕べ作ったんじゃ、この指輪が婚約指輪じゃ、健太とうちはこれで婚約したことになるんじゃけえね」「ハア〜〜〜〜?」
「じゃあね、バイバイ」と言って利佳は左手を振って笑いながら帰っていきました。 利佳のその時の笑い顔はなんとなく寂しそうでした。
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Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
健太
:2022/01/22 (土) 16:53 ID:pr83ggRk No.50076
- 翌日の昼頃でした。
その日は日曜日だったので父も家に居ました。 利佳の両親と利佳が私の家に来ました。
利佳の父親が「急なことで、なんですが、本社の部長が事故で亡くなりまして、私に代わりをという事になりまして」 いつものんびりしている父もさすがに驚いたようで「なんとまあ!えらい急な話ですのう!」 利佳の母親が「お世話になりっぱなしで、たいへん心苦しいのですが、そういう事情なので」 利佳はうつむいて黙っていました。 母が「で、どちらに?」 利佳の父親が「本社が東京なもので、東京に行きます」 父が「家はどうされるんですか?」 「まだ家財道具が残っていますんで当分はそのままにしとこうかと思っています」 「そうですか、寂しゅうなりますのう」
利佳が眼に涙をためて初めて口を利きました。 「健太、うち、東京に行くけんね、勉強、頑張ってな」 私は頭の中が真っ白になって「あ、あ、あ、あ」と言うばかりでした。
それからすぐにタクシーが来て利佳を真ん中にして三人は路地を出ていきました。 利佳は何度も振り返って左手を振っていました。 利佳の指にはビーズ玉の指輪が嵌まっていました。
私は茫然とタクシーを見送りました。 「あ、あ、あ、あ、利佳ちゃんが、利佳ちゃんが、どっかに、行ってしもうた、東京に行った、あ〜〜〜〜〜〜、あ〜〜〜〜〜〜、あ〜〜〜〜〜」と私は天を仰いで泣き、地面を見ては「う〜〜〜、う〜〜〜〜、う〜〜〜〜〜」と涙をシャツの袖で拭きながら泣きました。 涙がこぼれてどうしょうも有りませんでした。 父が私の肩を抱いて「泣くな!健太は今からじゃ、その内、またええことも有る!利佳も言うちょったろうが、勉強して、の、の、の」 母は前掛けの裾で目頭を押さえていました。 私はその日の夜も枕を噛んで泣きました。 三日ほど何も食べられませんでした。 母が「健太〜〜、ご飯よう」と呼んでいました。 父の「ええけえ、放っといてやれや」という声が聞こえました。
次の日に引っ越し屋さんが来て利佳の家から家財道具を運び出していました。 私は毎日利佳の家を見て暮らしました。 父と母は私の前で利佳の話をしなくなりました。
そのまま利佳は私の前から姿を消しました。 連絡を取ろうにも私は利佳の住所を知りませんでした。 それは父も母も同じでした。
「利佳は、どうしょうるんじゃろうか、元気じゃろうか」と私はそんな事ばかり考えていました。 きれいに手入れをされていた利佳の家の庭も雑草が生い茂っていました。 風が強い日など利佳の家の玄関の前の枝折戸がパタンパタンと鳴っていましたし、雨の日には私と利佳が二人で覗いた雨戸も濡れていました。 正月が来て、もしやと思って年賀状の束を見ましたが利佳からの年賀状は有りませんでした。 私は10枚ばかりの利佳の水着の写真を見ては泣きました。
本屋を見ては「ああ、ここで利佳とエロ本を買うたこともあったな」 街角のラーメン屋を見ては「ああ、この店で二人でラーメンを啜ったな」 などと思い出していました。 そして私は利佳と別れる前に利佳が私に体を許してくれた事や前の日に水着の写真を撮らせてくれたことなどや、それからそのあとで帰る時に寂しそうに笑った顔を想い出して「ああ、それでか、それで利佳はわしにそがいな事をしてくれたんじゃの」と思いました。
そして私は高校3年生の冬を迎えました。 成績は上の中だったので京都大学という事も先生は言っていましたが、私は家から近い事と確実な所で広島大学に行くことにしました。 家から近いと言っても電車を何度も乗り換えて半日はかかりました。
広島で或る女性と出会ったことは以前に書きましたが、その事はあとで書くとして、とりあえず話を進めます。
広大に入学して最初の同窓会が盆に有りました。 私が行っていた高校では毎年お盆休みを利用してOBも一緒に同窓会が開かれていました。 かっての同級生たちが利佳の噂をしていました。 「おい、川村利佳な、東大に行ったらしいぜ」 「おう、そういやあ、そがいな名前の別嬪が居ったなあ」 「まあ、あいつなら東大ぐらい訳のう行くわいの」
私は友達に詰め寄って「誰からその話を聞いたんか?」 「噂よ!ただの噂じゃが」
そして私は大学在学中に税理士の資格を取り広大を無事に卒業して父の事務所に入りました。 それから二年の月日が経っていましたが私は利佳の事が忘れられませんでした。 その年のお盆の同窓会の事です。 「川村利佳な、見合いして結婚したらしいぜ」 私はその友達に「そ、そがいな話を誰から聞いたんか!」と襟を掴んで聞きました。 「あそこの女らが言うちょった話じゃ!」 私はかっての同級生の女子に「あんたら、川村利佳が結婚したいう話をしちょったげなが、そりゃあ、ほんまか?」 「うちらも、よう知らんのよ、噂じゃけえ」
そんな事が有って大学を卒業して三年目の梅雨になっていました。 私は24歳になっていました。 その日は土曜日だったので父も母も家に居ました。 私は「利佳は、あの話が本当なら、利佳は今ごろわしの事など忘れて、よその男と子供でも作って、ああ〜〜〜、利佳は今はもう25歳になっちょるんじゃの」などと考えながら降りしきる雨を廊下の窓から眺めていました。
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Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
tetu
:2022/01/22 (土) 19:41 ID:BegDJFlc No.50081
- 切ないですね。
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Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
健太
:2022/01/23 (日) 01:40 ID:FbH0qG1E No.50086
- いくら考えても仕方がない事なので私は「ちっと早いがパチンコでも行くとするか」と思って立ち上がりかけた時に一台のライトバンが我が家の駐車場の父の車の横に停まりました。
車の横に「○○生命」と書いて有りました。 「なんじゃい、保険屋か、土曜日じゃと言うのに、こがいに朝早ようから何の用事じゃい」と思って見ていると運転席から黒いタイトスカートのスーツを着た女性が降りてきました。 傘をさしていたので顔は分かりませんでしたが、ピョンピョンと水溜まりを避けて我が家の玄関に入って来ました。
「おばさん、居る〜〜〜〜」という声を聞いて、私は階段を転げ落ちそうになりながら降りました。 懐かしい声でした。 「健太〜〜、利佳ちゃんよう」という母の叫ぶ声を私は階段の途中で聞きました。 階段を降りりとそこには………、ああ、利佳が笑って立っていました。 「神様!ああ、神様!」と私は思いました。
父が何事かと思って奥の部屋からステテコ姿で出てきました。 「お、利佳!」 私は「あ〜〜〜〜〜〜、あ〜〜〜〜〜」と泣きました。 父が「ええ年をして泣くな!」と言いましたが私は涙が止まりませんでした。
それから利佳は母が出した座布団を静かに横に置いて畳の上に座ると指を突いて「おじさんもおばさんも元気そうで何よりです」と言いました。 その時、利佳の左手の中指にはビーズの赤い指輪が嵌められていました。 私は放心状態でその場にペタンと座りました。
父が「なんとのう、別嬪さんになって、元気そうじゃのう、お父さんやお母さんは元気かいのう?」 「父も母も東京で元気に暮らしています」 それから利佳は母が出したお茶をすすりながら「おじさん、私、これでもキャリアウーマンなのよ、フフフ」 母が「利佳ちゃんは東大を出たと聞いたんじゃが………」 「ヘヘヘ、おばさん、それでね、私、○○生命に就職してね、私の会社は地方を三年ぐらい回って一人前になったと認められてですね、また本社に帰ることになっているんです、それで上司が私を呼んで希望が有るかと聞くものですから、私、これ幸いと帰ってきたんです」 母が「利佳ちゃんは、お見合いをして結婚した言うて聞いちょったんじゃが………」と恐る恐る尋ねると、利佳が「アハハ」と笑って私の顔を見ながら「部長が見合い写真を持って来て私にこの人と見合いでもしちゃどうかと写真を見せてくれましたが、アハハハ、健太よりもまだ不細工な顔で、アハハハ、その場で断りました」 それを聞いて私はまた「あ〜〜〜〜〜、あ〜〜〜〜〜」とまた泣きました。 利佳が続けて「それですね、近所の人に聞いたのですが、ヘヘヘ、健太はまだ独身だそうで、健太さえよければ、と思いましてね」と言いました。 父が素っ頓狂な声を張り上げて「利佳!この健太と………結婚ってか!」 「私、ウフフフ、ね、健太」と言って利佳が私にビーズで編んだ指輪を見せました。
「わ、わ、わ、わし………利佳ちゃんとけ、け、結婚する〜〜〜〜〜」と私は高らかに宣言しました。 母がおろおろと「あんた!あんた、親戚に、親戚に」 父が「まだ早い!親戚なんか、どっちでもええ!面倒くさいだけじゃ!」 利佳は笑いながら「それですね、ヘヘヘ、健太を今日から一週間ほど貸して貰おう思いましてね、家の片付けも有りますので」 父が眼に涙を溜めて「一週間でも、一か月でも、こがいな馬鹿で良けりゃあ、使うちゃってください」 利佳が私の腕を掴んで「アハハハ、健太、さあ、行くわよ、立って!さあ、早く!私は来週の月曜日からお仕事なのよ」と言って立ち上がりました。 「利佳ちゃん!待って、待って」 父の「あ、いけん、こいつは、もう尻の下に敷かれちょる」という声を背中で聞いて私は利佳の家に行きました。
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Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
小松
:2022/01/23 (日) 02:48 ID:..LQ3R.M No.50087
- 健太さん、こんにちは。
まさかこの様な切ない展開になるとは思いませんでした。 このサイトに来て興奮することは何度もありましたが、涙を流したのは初めてでした。
>「じゃあね、バイバイ」と言って利佳は左手を振って笑いながら帰っていきました。 >利佳のその時の笑い顔はなんとなく寂しそうでした。
51話の最後に綴られていた意味深なお話しはそういう事だったのですね。 しかし再開出来てほっとしました。
>黒いタイトスカートのスーツを着た女性が降りてきました。 きっと人目を引く更に美しい女性になっておられたでしょうね。 黒のタイトスカートは私の好みです。
健太さんはご自身を自慢されることは殆どありませんが、担任の先生が「京大へ」と仰るぐらいですから優秀な生徒さんだったのですね。私とは最も似ていないところです(笑)
今後は利佳さんのご両親のお話は聞けそうにありませんが、健太さんと利佳さんお二人のお話が楽しみなってきました。 今後の展開に期待しています。
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Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
健太
:2022/01/23 (日) 04:39 ID:FbH0qG1E No.50088
- ええと、tetuさん、初めまして、今後ともよろしく。
小松さん、なんと言いますか、私は決して頭は良くありませんが、石橋を叩いて渡るような性格ですからそれが幸いしたのかもしれません。 これからもよろしく。 それではぼちぼちと書いていきます。
私の思い出はその時から一気に7年前の大学入学に遡ります。 このお話は妻と関係が有るような無いような話なのでスルーされても結構です。
私は広大に入学すると学校の近くに小さなアパートを借りました。 それからアルバイト先を探しました。 学生課の掲示板を見ていると「アルバイト求む、読売新聞配達所○○株式会社」と出ていました。 私は自転車に乗って早速その配達所に行きました。
細かい事は省きますが、まあ、なんと言いますか、大変なアルバイトでした。 給料は良かったのですが、何しろ朝の3時に起きて配達所に自転車で行きます。 配達所に行くと本雇いの男の人たちが朝刊の間に折り込み広告を挟んでいます。 全部で10人ほどの人が働いていました。 今では機械でやるそうですが、当時は流れ作業で広告を束ねる人、束ねた広告を新聞の間に挿し込む人、広告を差し込んだ新聞をまた束ねる人等が黙々と仕事をしていました。
本雇いの人たちは300部から350部の新聞を配っていましたが、私は或るバイトだったので新聞を200部ばかりを配りました。 新聞配達は朝の5時過ぎから始まります。 私は自転車の前の籠と後ろの籠に新聞を入れて所定のところまで行きます。 その新聞の重たい事!自転車はフラフラと横に逸れて何度も転げそうになりました。
所定の区域に着くと新聞を百部ずつ両方の肩に掛けて各家庭に配っていきます。 「ひ〜〜〜〜、ひ〜〜〜〜」と言いながら狭い階段を掛けり上がったり裏道を通って新聞を配っていきます。 最初のうちは本雇いの人が私に付き添ってくれましたが1週間もすると私が一人で配っていきました。 暗いうちだと口に懐中電灯を咥えて地図と表札を照らし合わせて配ります。 新聞を配り終わると朝御飯だけ用意してあります。 ご飯とみそ汁と卵焼きか目刺しか、それと沢庵とと言ったほどの朝食でした。
特に雨の日はたいへんでした。 先ず、配達所に行くと新聞を薄いビニールの袋に入れる作業が待っています。 今はそれも機械でやるそうですが、私達のころは全部手作業でした。
きちんと数を数えて配ったつもりでも配り終わると二部か三部ほど余っています。 するとさっそく電話がかかってきます。 店主のおじさんが、60歳ぐらいの人でしたが「お〜〜い、新聞が入っちょらんいうて電話がかかってきちょるど〜〜〜」 私は朝食の箸を放り投げて再び自転車に乗ってそこに新聞を届けます。
普通の家庭で郵便受けなどが有る所はいいのですが、中にはアパートなどで靴を脱いで上がらなくてはならない所も有ります。 長い廊下を靴下で歩いて新聞を配ります。 雨の日なんかは長靴を脱いで配りました。
しばらくすると最後の辺に配る家の前にパーマネントのカールを巻いてシュミーズだけのおばさんが待っています。 「あんた!何してんのよ!うちの亭主が会社にもっていく新聞が間に合わないじゃないのさ!」 私が店主にその事を言いますと「明日から反対に配れ〜〜!」
次の日から私は前日の反対から新聞を配っていきます。 そうすると道に迷ったりします。 今度は最初に配っていたところから電話がかかってきます。 「あんたの所の新聞、遅いじゃないの!どうなってんのよ!」 店主が「ええい、明日から、真ん中から配れ〜〜〜〜」「ひ〜〜〜〜〜」
今はどうか知りませんが、読売新聞だったので一週間に一度「週刊読売」まで配って歩きました。 日曜日も祭日も有りません。一か月に一度だけ月曜日が休みの日が有りました。
今度は夕刊です。部数は少ないのですが同じコースを回らなくてはなりません。 夕刊を配り終わると夕方7時です。 明日は朝の3時起きです。夕方7時から朝の三時まで8時間しかありません。アパートに帰ると布団を頭から被ってすぐに寝なければいけません。 学校の講義は朝刊と夕刊の間に出ます。
これには流石に私も参りました。 その新聞配達を私は3か月続けました。 新聞配達の人を見かけると私は今でも頭が下がります。後ろ姿に手を合わせます。
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Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
健太
:2022/01/23 (日) 10:03 ID:FbH0qG1E No.50090
- 新聞配達を辞めてすぐの事でした。
学校の講義が終って帰っていると突然の大雨です。 「雨宿り!雨宿り!どっかに雨宿り!」と探しているとビルのビルの間に白い暖簾が見えました。 その白い暖簾に斜めに「ホルモン焼き 関東炊き お好み焼き たこ焼き」と書いて有り、その下に小さい字で「ちいちゃん」と書いて有りました。
私はお腹が空いていたのでこれ幸いと引き戸を開けて中に入りました。 店の中は思ったより広くて左にカウンター、右に4人が座れる座敷が二間有りました。 真ん中の大きな鉄板の上で50歳ぐらいの女の人がお好み焼きを焼いていました。 鉄板は長さが1メートル50センチほどで幅が1メートルほどの長方形でした。 鉄板の廻りには木製の長椅子が置いて有りました。 カウンターには椅子が有りませんでしたが、60歳ぐらいの男の人が三人立ってビールを飲んでいました。 鉄板の廻りの椅子には4人のお客さんが座っていて女の人のお尻をニヤニヤ笑いながら撫でていました。 女の人は嫌がりもせずお好み焼きを焼いていました。 女の人が私に気がついて「こらこら、いつまで人のケツばっかりいらってやがんだよ!客が来たんだよ、お前ら、ちったあ気を利けせてそこを避けるんだよ」 するとお客さんたちが少しずつ腰を浮かせると私が座るスペースを作ってくれました。 その女の人が私に「おい、お前、ここだ、ここに座って」 私はお客さんなのにお前呼ばわりをされました。それも初めての店で!。 私が狭いスペースに座っていると「おい、お前、何にするんか?こっちゃ忙しいんじゃけえ、早よう決めちょくれ」
壁に掛かった「献立表」を見ると「お好み焼き 500円 関東炊き 500円 ホルモン焼き 500円 たこ焼き 500円 酒(一升) 2000円 焼酎(一升) 1000円 ビール(大瓶) 500円 と切りの良い数字ばかり並んでいました。
私はとりあえずお好み焼きを注文しました。 彼女は黙ってモヤシとキャベツが入ったメリケン粉を鉄板の上に広げると、その上にタコ、イカ、エビ、ベーコンを乗せて、その上から生卵を二つ割って潰すとまたキャベツともやしを混ぜたメリケン粉を溶かしたものを掛けていました。 焼けてくると「お多福ソース」をたっぷりかけて「こりゃあ、旨いぞ、喰ってみろよ」と自画自賛していました。 いい匂いがしました。食べてみると、私は思わず「こりゃあ、うまいですのう」 彼女はニッと笑って「の、旨かろうが」 彼女は美人とは言えませんでしたが、どこか愛嬌が有って奇妙な色気が有りました。 私だけではなく、自分より年下だろうと年上だろうと、誰に向かっても「お前」と呼んでいましたし、自分の事は「わし」と言っていました。 お客さんたちは「お前」と呼ばれて喜んでいるところが有りました。 そしてお客さんたちは彼女の事を「ちいちゃん」と呼んでいました。 私は「千代子」か「知登世」か「千恵子」か、その辺りの名前だと思っていました。
電話がかかってきても受話器を取り上げるといきなり「何か?」でした。 「もしもし」とか「ちいちゃんです」などとは一切言いません。 お金を払う段になって「いくらですか?」と聞くと、入口の机を指さして「金はそこの箱の中に入れちょくれ、釣りは勝手にもってちょくれ」
お好み焼きの500円はその当時としては普通でしたが、そのボリュームとお好み焼きの中に入っている品数を思うと実に安く思えました。 ほかの物もそうでした。関東炊きとはおでんの事ですが、ゆで卵、タケノコ、タコの脚、大根、ウインナー、スジ、餅が入った巾着、がんもどき等がどんぶりに入っていました。 お客さんたちはそれらを勝手にどんぶりに取っては食べていました。
カウンターの後ろには大きな棚が有って、その中に名前が書いた一升瓶が並んでいました。 お客さんたちは自分の名前が書いてある一升瓶を棚から降ろして勝手に飲んでいました。
二日目に行ったときは何処からともなく雑巾のようなものが飛んできて「お前が座る所はそれで拭いちょけ」「雑巾でですか、うんにゃ、そりゃあ布巾じゃ」 三日目に行ったときは店が暇なことも有りましたが私の顔をじっと見て「お前の顔は部品はええんじゃが配置がわりいのう」 負けてはいられません。 私もおばさんの顔をじっと見て「おばさんは配置はええんですが部品がようないですの」 「ワハハハハ、お前、なかなか言うのう」
それからなんとなく打ち解けて四日目に行った時の事です。 私の言葉を聞いて「おまえ、もしかしたら、○○県か?」 「そうじゃけど」「○○県のどこかいの?」 「××市です」 「お前は学生か?」 私は得意そうに「そうです、広大です」 「ほうか、まあ、そこそこ優秀な方じゃの、ところで聞くがの、××市いうたら△△高校じゃあるまいの?」 「ヘヘヘ、わしはその△△高校じゃがね」 「校門の横に銅板が有ったろうが?」 「まさか………先輩………じゃ………ないですよね?」 「わしがお前の先輩じゃったらいけんか?」 私は飛び繰り上がって最敬礼をすると「失礼しました!先輩とは知らずに数々のご無礼を働きました!申し訳ありません!」 「おう、分かりゃあ、ええんじゃ、長幼の序、忘れるべからず、じゃど、ええの」 「わ、分かりました、これからは何とお呼びすればよろしいのでしょうか?」 「そうじゃの、ちいさんでもええし、女将さんでも好きなように呼んだらええが」 「あのう、ちょっとお聞きするんですがの、暖簾のちいちゃんというのは本名ですか?」 「ああ、あれか、お前、○○○○クラブいう所を知っちょるか?」 「座っただけで5万円とられるというクラブですの?」 彼女は顔の前で人差し指を左右に振りながら「ち、ち、ち、そりゃあ違う、座っただけで10万円よ」 「うそっ!」「アハハハハ、わしはのその店でチイママをしちょっての」 「うそっ!」「お前は、ほかに言葉を知らんのか?」 「それで、チイママが、そのままちいちゃんになったちゅう事ですの?」 「おう、その通りじゃ、思うたよりお前は頭がええの」 「エヘヘヘヘへ」 「わしの本名はじゃの、聞いて驚くなよ、たちばなれいか、ちゅう名前よ」 「たちばなっちゃ、花の橘ですか?」「ほうよ」 「れいか、っちゃどがいな字ですか?」 「かれい言う字をひっくり返したんよ」「かれいっちゃ、あの難しい字の、華と綺麗の麗の字ですかいの?」 「ほうよ」 「うそっ!」 「わしの爺さんがおかしげな名前をつけやがって、子供の時に自分の名前を書くのに往生したがの」 「アハハハハ」 「それでじゃの、わしは高校の時に家出をしてじゃの、年をハタチじゃいうて噓を言うての、ワハハハハ、それからこの業界に入ってじゃの、わしは、ほれ、この通り別嬪じゃけえ、すぐに切り込み隊長に抜擢されての」 「切り込み隊長ちゃなんですかいの?」 「切り込み隊長ちゅうのはじゃの、目ぼしい客が来たらその客をよその店に盗られんように客と寝てじゃの、まあ、言やあ、その客を店に繋ぎ留めたりじゃの、新しい金持ちの客を開拓したりじゃの、ワハハハハ、あの頃はえかった、客と寝たら店が金をくれての、客も金をくれるし、オメコは出来るし、金は貰えるし、ワハハハハハ」 「うそっ!」 「それでじゃの、わしはその功績を認められてじゃ、チイママに抜擢されたいう事よの」 「そ、その、切り込み隊長言うんは一人じゃったんですか?」 「うんにゃ、わしの下に3人居っての、毎日大ママと一緒にミーティングしての、今日はどこそこの誰から予約が入っちょるけえ、誰がどの客と寝るか順番を決めての、ワハハハハ」 「うそっ!」
すると彼女はケタケタと笑って「その通りよ、今の事は全部嘘よ、ワハハハハ」 でも私にはそれが嘘だとは思えませんでした。
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Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
メロディー
:2022/01/23 (日) 12:04 ID:YQ6ThKCo No.50091
- 自分達の時系列を整理しながら。
重ね合わせて二人で読んでいます。 スワップはともかく。 自分たちの歩んだ事と感じながら。 思い出しながら読んでいます。 平成に移行しバブル崩壊の頃にクラブなどもありました。 そこでの派手な飲食を懐かしく思い出しています。 地方の都市も賑わっていたころ。 私たちの若い頃を思い出しながら、 ワクワクドキドキしながら下半身に触れながら二人で読んでいます。 色々と想像しながらですと興奮してきますね。
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Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
tetu
:2022/01/23 (日) 16:13 ID:SrWw6R/6 No.50092
- 懐かしい気がします。
私の同級の奴の中にも新聞配達で奨学金を工面してるやつがいました。 昼間は、講義を受けずに麻雀に明け暮れてましたが。
広島弁も懐かしく読ませて頂いてます。 チーママ、バブリーな時代ですね。
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Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊
健太
:2022/01/24 (月) 14:36 ID:3j.537lo No.50097
- メロディーさん、大先輩に読んでいただいて大変恐縮しています。
tetuさんは広島出身ですか? そうです。丁度その頃でした。バブル真っ最中で日本中がジュリアナ東京のように浮かれて揺れ動いていました。
それではゆるりと書いていきます。 「なあ、チーさん、なんでここのカウンターにゃあ、椅子が置いてないんですかいの?」 「そりゃあの、わしが魅力的じゃけえよ、椅子を置いちょったらいっつまでも帰らんけえの、そしたら後から来た客が入れまあが」「エヘヘヘヘ」
いつだったか「ねえ、チーさんの年は何ぼですか」と聞いたことが有ります。 「お前なあ、淑女に年を聞くたあ、ええ度胸じゃの」 「ヘヘヘヘ、淑女ですかいの」 「ケッ、お前の年は何ぼか?」「わしは18です」 「ふん、わしよりちいと若いの………わしの年はじゃの、聞いて驚くな、丁度50よ」
その時、私の母は42歳でしたから彼女は母より8歳も年上でした。
そのあと、何度目だったか、彼女の店に行った時の事です。 お客さんが5、6人いました。 そこに風体の悪いのが三人来ました。 その男たちは二の腕までの入れ墨を見せびらかすように肩まで腕まくりをしていました。 「おばん、なにか食わしてくれんかの」 すると彼女は傍に置いてあった箒を掴むと「お前らに食わす物は売っちょらん」と立ち向かっていきました。 男たちが凄んで「なんじゃとぉ〜〜、わりゃあ、わしらをなんじゃ思うちょるんか、舐めんなよぉ〜〜〜」と腕を捲りました。 彼女は怯むどころか「おう、おんどれら、やる気か!表へ出え!」 私は固唾を飲んでみていました。
しばらく男たちと彼女は戸口で睨み合っていましたが、やがて男たちは彼女の剣幕に恐れをなしたのか「お、覚えちょれよ」と捨て台詞を残して退散しました。 「おい、お前、表に塩蒔いちょけ!」「えっ!わしがですか?」 「他に誰が居る言うんじゃ!」「うそっ!」 お客さんたちはみんな大喜びで「ちいちゃん、やったね、ワハハハハ」 「チーさん!すげえぇ〜〜〜〜」
或る日、彼女が小指を立てて「お前、彼女はおらんのか?」 「居ったんですが、別れました」 「そんなら、わしがお前の彼女になっちゃろうか?」 「えっ!エヘヘヘヘ」 「ククク、冗談よ、ワハハハハ、冗談、冗談、ワハハハハ」
私はそんな間にも利佳の事を思い出してアパートに帰ると万年床に潜り込んで泣いていました。 気を紛らわすために成人映画館にも行きました。 そんな映画を見ても一つも面白くありませんでした。 利佳の父親と母親の痴態を見ていた私には成人映画なんか物の数では有りませんでした。
そして、夏休みが終わって9月になっていました。 台風です。中国地方を直撃しました。 流石にその日はお客さんも来ていませんでしたが私は行くところもなくてお腹も空いていましたので「ちいちゃん」で焼き飯を作ってもらって食べていました。 鉄板のガスも止めて有って、私はフライパンで作ってもらった焼き飯を座敷で食べていました。 店の外ではカタカタと物音がして風はヒュウヒュウと唸っていました。
そこに彼女が一升瓶を抱えて私の隣に座りました。 「どうか?わしが作った焼き飯は美味かろうが?」 「はい、美味しいです」 「どうか?一杯付き合うか?」「少しだけなら、お酒はあんまり強くないので」 それがいけませんでした。一杯が二杯になり、二杯が三杯になった頃に頭が朦朧として何が何だか分からなくなってきていました。
私の前にチーさんの顔が迫って来ました。 「デヘヘヘ、チ―たん、何を、デへへへ」 「黙っちょれよ」と彼女が行った所まで覚えていますが、私が気がついた時には、私は雑巾のようなタオルを口の中に詰め込まれていました。
そして「下の方が涼しゅうてチンポが何でか気持ちがええのう」と思った時に、私はズボンを膝まで脱がされて彼女は私のチンポを咥えて首を振っていました。 私は驚いたのなんの、慌てて口から布巾を吐き出すと「チ、チーさん!わっ!」っと言ったとたんに「黙っちょれ言うたろうが!」の声と共に私はテーブルの上の一升瓶で頭を思いっきり殴られました。
私の頭の中を右から左へ毛を毟られた小鳥が手羽先をパタパタ振りながらピヨピヨと鳴いて飛んでいきました。 これは本当です。私は今でもその時の情景を覚えています。 漫画などで見た事が有りますが、私は比喩だとばかり思っていました。 そんなことは信じられないという方は一度頭を思いっきり柱にでもぶっつけるか、奥さんにでも一升瓶で頭を叩かれてみてください。私の言ったことは本当だという事が分かります。
私はそのまま意識がどこかへ飛んでしまいました。 私が二度目に気がついた時にはズボンもパンツも脱がされ、彼女が私の上で腰を振っていました。 「あ〜〜〜、ええ!ええ!やっぱり若いチンポはええのう」
情けない事に私はその時も「あ、あ、あ、あ〜〜〜〜、出る、出る、出ます〜〜〜〜!」と。 その時、何回彼女が腰を振ったかは知りませんが、彼女が「なんじゃい!はあ、逝ったんかい!」と呆れたような声で言ったところを見ると、ほとんどすぐに逝ったに違いありません。
彼女は私を軽蔑したような顔で見ていました。 私は恥ずかしさと屈辱感で頭がいっぱいになりました。 「あ〜〜〜、あ〜〜〜〜」と私は泣いていました。 彼女は私の顔に煙草の煙を吐きかけて「ケッ、すぐに逝きやがって、なんじゃい、え〜〜い、やっかましい!泣くな!けったくそわりい!」
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