掲示板に戻る /戻る /全部 /1- /最新10 /▼ラスト

ウェディングドレスの妻

[1] スレッドオーナー: 佐山 :2025/10/25 (土) 02:07 ID:fm1CrgoQ No.32402
『なんでも体験告白』から移りました リライト版です。

◇登場人物

・私、佐山康則(58歳)電機メーカー勤務
 身長165p 明るい性格 腰痛、肩こり、下戸 のイメージ  
 趣味は映画・スポーツ鑑賞、ハイキング

・妻、佐山幸代(旧姓伊藤)(55歳)スーパーでレジや品出しのパート社員
 身長158cm、普通体系 黒髪、肩にかかるボブ、ナチュラルメイク、
 スニーカー、靴下、自転車、ブランドよりもトップバリューのイメージ
 趣味は庭いじり 綺麗よりも笑顔が愛らしい可愛い系

・私たち夫婦は、結婚30年、シニアらしい平凡でのんびりとした普通の暮らし

・子供(長男:大樹(28歳)、長女:里奈(26歳))ともに成人未婚、県外勤務


◇本文 〜特に同年代の男性の方に自分に置き換えて読んでいただきたい〜


桜が満開になる 少し前の休日……

私、佐山康則(58)は、遅めの朝食を終え、新聞を広げたままリビングで のんびりと過ごしていた。
カチカチと 壁にかかった古い振り子時計の音だけが、やけに鮮明に聞こえる。
今日は特別な予定もなく、ただ時間だけがゆっくりと流れていた。

部屋着姿の妻 幸代(55)が、ベランダで洗濯物を干し終え、柔軟剤の石鹸のような香りの上に、わずかな外気の匂いを纏って キッチンへ戻ってきた。
髪を後ろでまとめた、いつもの素朴な外見だ。

「今日は暖かくなるって言ってたけど、外はホントに暖かいよー」

幸代はお湯を沸かしながら、そう言った。
シュンシュンと鳴り始めたケトルの音が、静かなリビングに活気を与える。

「そうみたいだな…… 昨日は寒かったけどな」

私は新聞から目を離さずに返す。
それ以上、言葉は続かなかったが、それで十分だった。

コーヒーメーカーが作動している音がして、ほのかな香りがリビングにまで漂ってきた。
幸代は当たり前のように、私のマグカップにもブラックコーヒーを注いでくれた。
砂糖もミルクも入らない、いつもの味だ。

一口飲んだあと、幸代がふと思い出したように言った。

「あっ 来週ね、里奈ちゃん…… 友達の結婚式があるから帰ってくるって」

「え? また帰ってくるの?」

私は少し驚きつつ、思わず口元が緩む。
たしか先月も? いや まだ ひと月も経っていないだろう……。

「あの子もだけど…… 友達も、もう そういう年頃だしね」
「なんか、いつの間にか って感じよね」

カップを両手で包みながら言う声に、わずかな感慨が混じっていた。
母親として、思うところがあるのだろう。

「そっか…… で? 里奈自身は? 結婚の話とかないの?」

私の問いに幸代は、肩をすくめて にこりと笑う。

「どうかなー。 トオサン 直接聞いてみれば?」

「いやいや、やめとく……」

即答すると、幸代がくすっと笑った。

「だって焦らせたら、あいつ 余計に逃げるだろ」と私が言えば、

「そうそう。 特に あの子はね」幸代が笑顔で返してきた。

言葉にしなくても、同じことを考えているのがわかる。

「大樹は?」

気になった私が聞けば、

「仕事が楽しいみたいよ。 結婚なんて まだまだ先じゃない?」
「というか…… あんまり考えてないかもね」

幸代の答えはあっさりしたものだった。

それ以上、子どもたちの話は広がらなかった。
もちろん心配していないわけではない。 ただ、もう私たちの手を離れている、それを自然に受け入れているだけだった。

「トオサン 買い物、行く?」

幸代が立ち上がりながら訊いてきた。

「天気も良いし…… うん、行こうか」

私たちは自転車で並んで走る。
幸代の、色あせたコットンのシャツが風を孕んでふわりと膨らむ。使い込まれた自転車のチェーンからの規則正しい金属音が耳に心地いい。

住宅街を抜けると、爽やかな風の中に はっきりと春の匂いが混じっていた。
道沿いの桜は 七分咲きと言ったところだろうか。

「来週は 満開だねー」

幸代の嬉しそうな声に 私は大きく頷いた。

「あっ 道、こっちから行かない?」

そう言いながら、幸代が角を曲がった。

「あ、いいけど…… どした?」と私。

「あそこの花壇、今綺麗だから」

彼女が指差した先には、近所の公園のチューリップが鮮やかに揺れていた。
いつものスーパーへの最短ルートではないけれど、今日はその遠回りが、妙に贅沢な時間に感じられた。

スーパーでは、幸代が食材を選び、私は黙ってカートを押す。
いつもの役割分担だが、不思議と落ち着いて心地も良かった。

レジ待ちの列では、私たちの前に並んでいた若い夫婦が赤ん坊をあやしていた。

「かわいいねぇ」 幸代が 私にだけ聞こえる声で。

「うん、ウチの二人も あんな頃があったよなー」と私。

「ほんとにね〜」

それ以上は、言わなかった。
言わなくても、わかっていた。

特別な出来事は、何ひとつない。
こんな穏やかな時間が、この先もずっと続いていく…… その時は、疑いもしなかった。

そして5月の終わり頃……

爽やかな風が、薄く開け放った掃き出し窓から部屋に入り込み、レースのカーテンをふわりと膨らませた。

庭の片隅にある小さな花壇では、幸代が手をかけて育てているミニバラの枝先に、ひとつだけ小さな花が静かにほころんでいた。
朝、彼女は軍手をはめた手で枝ぶりを整え、しゃがみ込んで黙々と土に向かっていた。
デニムとスニーカー、ゴムで束ねた髪。Tシャツの背中が陽の光を透かし、まるでひとつの風景画のようだった。

幸代の身長は158cmと比較的小柄ではあるが、体形も姿勢も全くと言っていいほど崩れることなく 若々しい外見で、特に外見に貫禄?の出始めた私からすれば、同年代として素直に羨ましく思えてくる。
いや それどころか、なぜか彼女だけは歳を取らないようで、悔しくもあり負けた気にすらなってしまう。

今日、日曜日の昼食は、冷やしうどんと昨晩の煮物の残りだった。
少し歪な形のガラス鉢に盛られたうどん。薬味のミョウガの鋭い香りが鼻をくすぐる。
飾り気のない地味な献立だけど、それが彼女らしい。
温もりがあって ほのぼの感があって、体の奥が「思い出してくる」ような味だ。

昼食を終えた 私は新聞を広げたまま、うたた寝をしていたらしい。
目を覚ましたとき、いつのまにか陽射しは傾き、室内の影が深くなっていた。

幸代はローテーブルに片腕を乗せて、もう一方の手でひざを軽く抱えるようにリラックスして座っていた。
黒髪をざっくりとひとつに束ね、グレーのコットンシャツとくたびれたベージュのパンツ、足元は白い靴下。
それだけの装いなのに、どこか整って見える。 むしろ、年を重ねた女性だけが纏える、落ち着いた清潔感と“奥行き”のようなものが そこにあった。

ふと、私の視線に気づいたのか、幸代がこちらを見た。

「あっ……トオサン? そういえばね……」

「ん?」

まだ夢の名残をまとったような、鼻にかかった声が自分でも可笑しかった。

「再来週の日曜日だけど…… 午後って、なにか予定ある?」

「再来週? いや ないよ。 知ってるだろ? 日曜はいつもヒマしてるって」 私は即答した。

「ならよかった……」

「なんで? 何かある?」

「うん なんかねー、冗談みたいな、でもけっこう真面目な話で……」

彼女の声が、わずかに調子を変えた。
いつもより、ほんの少しだけかしこまった口調。
でもその奥には、どこか照れを含んだ笑みが滲んでいて、その“間”だけで私は胸の奥がざわついた。

「何? 真面目な話? カアサンの? 相談事か? それともトラブル?」

「ううん、そんな大げさなことじゃないけど……」

ぽつりぽつりと、幸代が話し始めた。

彼女がパートに行っている中堅スーパーが、最近 ブライダル関係の企業と業務提携を結んだという。
いわゆる異業種提携というやつだ。
その一環として “シニア世代のためのブライダル・プロモーション” なる企画を始めたらしい。

「“熟婚式”とか“再誓式”“新寿式”、あと“年輪婚”“円熟婚”“オトナ婚”とか呼ぶみたいで…… 人生の後半に、もう一度 幸せの節目をつくるんだって…… なんか最近 いろいろあるよね」

人生100年と呼ばれ始めた、今からの時代ならでは の企画だ。
そんないわゆる「シニア婚」のパンフレットや動画に使う素材として、社内でモデルを公募していたらしく、なんと幸代が“花嫁モデル”に選ばれたのだという。

「何回も、ホントに何回も断ったんだけど……」
「だって、わたしなんかよりも…… ね」と回想する幸代。

更には パート仲間の強い推薦と、スーパーの課長から本社への熱い後押しもあったとのこと。

「シニアの生活感が出ている“ごく普通の一般の人”が求められていたんだって……」
「ちゃんとしたモデルさんじゃなくて、素人。 できれば“地元住みの女性”っていうのが、コンセプト? みたいなのに合うみたいで……」
「あと、年齢的には50代の半ばの人 って えっ? それ、わたし? って…… なんだかんだでドンピシャだったから……」

まるで誰かに言い訳でもするような口調で、立て続けに そして一方的に、私に捲し立てた流れで、

「ねぇ、どうしたら良いと思う?」と今度は真面目な顔で訊いてきた幸代。

「え? どうしたらって…… そんなのオレに聞かれても……」

突然、そんなことを振られて、私も どう答えて良いのか、わからない。

すると幸代が、ふっと軽く息を吐きだして、

「というか、もうほとんど 話は決まってて…… 断れない雰囲気なんだよね……」

そう言って、少しだけ視線をそらした彼女の口元に、かすかに恥じらいが浮かんでいた。

「は? マジで? 冗談だろ?」

少しトーンの上がった私に合わせるように幸代の音量もアップした。

「わたしだって冗談って思いたいよー!」

彼女の頬が、西日に照らされてほんのりと赤らんでいる。それが困惑のせいなのか、心のどこかにある高揚のせいなのか、その時の私には判別がつかなかった。

「え? じゃぁ…… もしかして、申し込んだの?」大げさに目を丸くした私。

「もぉ! そうじゃなくて…… 申し込まされたの!!」と頬を膨らませた幸代。

「あはは、罰ゲームだな、それ」

素直に笑いが喉の奥からこぼれた。
普通に滑稽で笑わずにはいられなかった、というのが私の最初のリアクションだった。

「あー 罰ゲーム…… たしかにね。 でもそれより酷いかも」

けれど、彼女の顔は笑っていなかった。
いや、笑ってはいたけど、それは“困惑の中にある照れ”のようで。
冗談で済まされるような話では、なさそうだった。

イベント自体も中堅どころの映画制作会社のしっかりとした撮影部隊が入るらしく、それなりのスケールで実施されるらしい。

「あ、だったら 里奈に変わってもらったら?  結婚式の練習になるだろ?」
「あ! でもダメかー、シニアだから年齢制限があるんだよな?  若い人はNGですって(笑)」 

そう言って、何気に彼女を からかってみる私。

「トオサン、そんなこと無理だって わかって 聞いてるでしょー……」

幸代が優しい目をして私を睨んだ。

さらに私は、別にどちらでも良いものの なんとなくの興味本位と彼女との話し合わせのために聞いてみた。

「というか、ドレス着るの? それとも白無垢だっけ? 和服とか?」

「んー、それが…… ドレス、純白のウェディングドレスなんだよね…… せめて和装だったら、私もここまで悩まないよー」

「へぇー、ヒラヒラでフリフリの白いドレスか…… じゃぁ、オレはシニアの花婿か?」
「今さら加齢臭で腹が出たオヤジがタキシード着て、蝶ネクタイして…… 鼻毛も切らないとな…… あははっ」

おチャラケ気味に私が言うと、意外にも真剣な表情で幸代が返してきた。

「じゃぁトオサンは…… 花婿さんの役を頼まれたら、本当にやりたいと思ってる? やってくれる?」

私は間髪入れずに返した。

「絶対に嫌だな、ムリ 無理、恥ずかしすぎるし、世間の笑いものになりたくないよ」

「そうよね…… やっぱり無理な話よね…… 笑いものか……」

幸代は口元に笑みを浮かべ そう答えたものの、ほんの一瞬だけ 冷めたような目線を左下に向け、そして軽く口先を締めた。
長年 生活を共にした私だけが知る、彼女が 機嫌を損ねた時や気分を害した時などに見せる ほんの微かな “ネガティブなジェスチャー” だった。

(あれ? ヤバいな……  こりゃ マジで怒らせてしまったかな?)

そう思った私は、新聞を折り畳みながら、わざとらしくため息をついてみせた。
いちおうは、幸代の気持ちに寄り添うようにしないといけない、と思ったのだ。


[2] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/10/25 (土) 02:10 ID:fm1CrgoQ No.32403
「それにしても、50代のオバサンにヒラヒラのウェディングドレスかぁ……」
「しかも50代と言っても、カアサン もう半ばだからな〜 55だっけ? じゃぁ 四捨五入したら……」

続けて幸代をイジる私だが、もちろん本気で揶揄するつもりなど毛頭ない。
それでも、このテの“ちょっかい”は、逆に幸代の心の奥をくすぐる。

「なによ〜 その言いかたぁ〜」
「でも、なんか…… うん…… やっぱり、嫌だなぁ。 恥さらしって感じしない?」
「今のわたしなんかに ウェディングドレスなんて、似合うわけないよね?」

幸代なりに自分で否定しながら、実は私には肯定をしてほしいような、そんな雰囲気が伝わってき始めた。 
ここは空気を読んで彼女の気持ちを尊重したほうが良さそうな気がしたので……

「そんなことないって。 むしろ、シニア世代の星だろ! 50代以上の男女に夢と希望と…… あと勇気を与える、みたいな」

私は口調こそ真面目にしたが、目は笑っていた。

「トオサン それ! ぜったい本気で言ってないでしょ!」

頬をふくらませた彼女は、怒ったふりをして、私を睨む。
だけどその目には、ふとした瞬間に浮かぶような、浮ついた光があった。

「で? シニア用のヒラヒラドレスなんて、本当にあるの?」
「純白のドレスに孫さえいる年齢って、ちょっと想像しづらくない?」
「というか、顔のしみとかシワとか、あと白髪は大丈夫? 無理すんなよ?」

次から次に からかうように言いながら、ちらりと横目を送る。
幸代はわかりやすく ムッとして、眉をひそめた。

「歳のことばかり言わないでよ! それ、一番 気にしてるんだから!」

そう言いながらも、どこか不安げで。
まるで子どものように目を伏せる彼女を見ると、つい笑いが込み上げてきた。
怒っているのではなく、ただ照れているだけだ。
昔から変わらない、幸代の不器用な自己防衛なのだ。

「 “50代の” とか “シニアの” とか…… なんでそこを強調するかな! ホント失礼よね!」

テーブルの上の菓子皿には個包装のクッキーが一枚だけ、袋も開けられないまま置かれていた。
幸代はそれを指先でそっと押しやりながら、ムスッとした表情のまま、もう一度 こちらを睨む。

「トオサンだって わたしと変わらないくせに!! おなかの出たオジサンでしょ!」

ただ、確かに声はムスッとしているのに、頬のあたりが ほんのり赤く染まっている。

「いやいや悪い意味じゃないって。 むしろ良い経験だろ? 今の歳でウェディングドレスを着るとか、そうそう ないチャンスだし」

私がそう言うと、幸代は湯呑みを手に取った。
淡い桜色の湯呑みにそっと唇を寄せ、一口だけ含む。
その動作の最中、わずかに手元が揺れ、茶器がカタッと静かに鳴った。

その仕草が、妙に愛おしく思えた。
彼女が本当に「嫌だ」と思っているなら、とっくにこの話は終わらせているはず。
言葉では「無理」と言いながら、心のどこかでは、そのシーンを期待しているのだと、私にはわかる。

若い頃からそうだった。
嬉しいときほど、「嬉しい」とは言わない。
喜びを真っ直ぐには受け取らず、いつも何かの裏に隠す。
だから私は、あえて軽口を叩いて、その “隠された気持ち” を引き出す役を担ってきた。

「じゃぁ、オレは親族代表の役としてスピーチでもしたら良い? それくらいなら喜んで(笑)」
「え〜 本日はお日柄も良く、って……」

私は とぼけて言うと、幸代は吹き出しそうになって、慌てて口元を整えた。

「あっ違う、そういうのじゃないの。 ちゃんとわたし、トオサンのこと、お願いしておいたから」

「お願い?」

「うん、特別にお願いしたの、エキストラさんの枠で。 そしたら招待客の席の一番後ろに入れてもらえるって。 それだったら、なんとかOK、って言われたよ」

声の調子はあくまでも控えめだったが、その奥に、ほんの少しだけ誇らしげな響きがあった。

「エキストラ?? ふぅーん、わりと本格的な撮影なんだな…… そっか、そんな所に、マジで良いの?」

「だって、知らない人たちばかりの中で、わたし一人は 正直ちょっと怖いし。 それに式の日はトオサン、チャペルまで送ってくれるでしょ? わたし、行ったことないから」

「それはぜんぜん良いけど…… でも、オレ行っても ど素人だよ?」

「あっ、素人さんだから 逆に良いらしいよ。 だって、わたしもだけど、ほとんどみんな素人らしいから」

そう言って、幸代はまっすぐに私を見た。
照れたようにうつむいた頬が、柔らかく紅をさしたように見えた。

「そっか、行ったことないなら、送り迎えもしてやらないとな」
「でも、オレもチャペルとか そんな厳かなところには、行ったことがないしな……」
「まっ エキストラだからな……」

そう言いながらも、

「でも大丈夫だ、ナビで設定すれば……」

チャペル行きが現実的になったその瞬間、不意に私の心の奥に灯がともった。

(幸代のドレス姿がこの目で、しかも近くで見ることができるのか)

白い光に包まれたチャペルの中、バージンロードを静かに歩く彼女の姿が脳裏に浮かんだ。
背筋を伸ばし、ぎこちない足取りで、照れながら、恥ずかしがりながら、少しだけ微笑みながらドレスの裾を整える。
私までもが ほんのりと嬉しさがこみあげてくる心温まる ひとコマ。

最初は冗談のようにしか思っていなかったのに、
今では、そんなイメージが浮かぶ 妻のドレス姿が 妙に眩しく思えてならない。

結婚して30年。
彼女のことは、すべて知っていると思っていた。
でも、こうして新しい光のなかに立つ彼女を想像するたび、
まだ私の知らない“彼女”が、きっとどこかにいるのだと感じた。

「うん、お願い。 それと招待客役も、ね。 立ったり座ったりと、あと拍手するくらいだから、そんなに難しくないと思うし…… あ、笑顔でね」とニッコリする幸代。

「あはは、カアサン見て、しっかり笑顔で拍手してやるよ」
「ヒラヒラのドレス、たぶん? 意外に? 似合うと思うよ まぁ ドレスに躓いてコケないように、な」

幸代はわざとらしく肩をすくめ、でもその目にはくすぐったいような喜びがにじんでいた。

「もぉ! “たぶん”とか “意外に”って…… ホントっ 失礼なんだから〜!」
「絶対に コケないもん!!」

その表情は、とても50代とは思えない まるで少女のような輝きがあった。


[3] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/10/25 (土) 02:11 ID:fm1CrgoQ No.32404
「はぁ〜…… 今さら わたしなんかに純白のウェディングドレスだとか」
「……やっぱり、変だよね〜 どう考えても」
「他の人が選ばれた方がよかったのかもね…… ほかの人じゃダメなのかな……」

ある日の夕食後もキッチンで食器を洗っていた幸代が、背中越しにそう漏らした。
水の流れる音にまぎれて、確かに届いたその独り言。
少しだけ掠れた声には、照れともためらいともとれる微かな震えが混じっていた。

私はダイニングの椅子に座って、テレビの音に身を預けながらも、耳だけは彼女に向けていた。

(あぁ、また始まったな…… これで何度目だ?)

ここ最近、幸代は折に触れてはこのテのセリフを口にするようになった。
「嫌だ」「やっぱり無理よ」「わたしなんか……」と、まるで誰かに予防線を張るかのように。

だがその言葉の裏にある、ほのかな高揚感を私はもう見逃さない。

「またその話か。 人生二度目のウェディングドレスだろ? それって特別なことなんだから、もっと素直に喜べよ……」

わざと少し冗談めかして返してやる。
言葉に棘はない。ただ少しだけ角度をつけて投げ返す。
そうしないと、幸代の奥にある“本音”に、うまく届かない気がして。

「この歳にもなって純白のドレスを着て、撮影とはいえ 本当の教会で結婚式を挙げるとか、冥途の土産にはなるだろ?」

茶化すように言いながらも、私は本当にそう思っていた。

キッチンから水の音がぴたりと止まり、蛇口の下で泡だったスポンジが宙に浮いたまま、動かなくなる。

「トオサンってば、すぐそうやって……  茶化すし、嫌味っぽいし。 もぉ、ホント やだ!」

口調こそ拗ねたようだが、その声の中に笑いが混じっている。
振り返りもしないのに、耳たぶがほんのり赤く染まっているのが、キッチンの照明に浮かんでいた。

ああ、照れてるな。
わかりやすいくらいに。

それが私にとっても、 なんだか くすぐったくて、そして愛おしかった。

ここ数日間、彼女はパート帰りに「ちょっと寄ってくる」と言っては、イベント企画会社の会議室に顔を出していた。
話によると、撮影の打ち合わせや 立ち居振る舞いの軽いレッスン、ドレスなどの採寸があるらしい。
時には帰りが遅くなり、夕食がコンビニ弁当になった日もあった。

それでも彼女は やっぱり恥ずかしいのだろうか、私に詳細は語らない。
いつも あっさりとした口ぶり。 

でも、私は見ていた。

帰宅したときの、少しだけ上気した頬の色。
帰宅後に手を洗うときの、心なしか鼻歌混じりになるような気分の上向き。
風呂上がりに念入りに踵にクリームを塗る彼女の背中。
洗面所の鏡の前でも、前髪を指先で整える時間が ここ最近 ほんの少しだけ長くなっていた。
口では「めんどくさい、疲れた、もう行きたくない」と ぼやいていても、次の日はしっかりと出かけていく。
それらは、間違いなく “まんざらでもない人間” の所作だった。

そして何よりも、彼女の表情はイキイキと輝いていた。 たとえ疲れていても、顔には充実感が満ちていたのだ。

「まぁさ…… 他にもやりたい人、いただろう中でカアサンが選ばれたんだから……」
「こうなったら綺麗なドレス着せてもらって、思いきってやってみたらいいじゃん」
「だって、ジューンブライドだろ! すごいことだよ!」

わざと私は軽く言ったが、内心ではもう冗談ではなかった。
むしろ、どこかで本気で期待している自分がいた。

私は、彼女の“最初の”花嫁姿を、正直よく覚えていない。
30年前、私たちが式を挙げたとき、あの時の私のほうが、緊張していたのか、彼女の表情すら、まともに見られなかった気がする。

あの時は、式そのものよりも、たくさんのゲストに来てもらった式を、とにかく無事に終えることで頭がいっぱいだったから。
だから隣に立つ彼女が、どんな顔をしていたのか、ほとんど覚えていないのだ。

記念写真はある。アルバムも奥にしまってある。
でも、それよりも、今この歳で、もう一度ドレス姿の彼女を、ちゃんと見てみたかった。

年齢なんて関係ない。
照れながらも凛と背筋を伸ばし、純白のドレスをまとい、緊張で少しだけ足元をすくませながらも、前を向いて立つ幸代。

会場の最後列の端っこからでも、その姿を見守るというのも 悪くない。
むしろそれは、あのとき見落としたものを、もう一度見つけに行く旅のように思えた。

「ま、しっかり見ててやるよ。 意外に似合うかもしれないし」
「それにオレも ヒラヒラフリフリのドレスを着たカアサンが楽しみになってきたよ」
「オレも拍手の練習をしておかないとな…… 笑」

ぽつりと本音を漏らすと、幸代はシンクの端に手をついたまま、小さく肩をすくめた。

「もぉ! “かもしれない”って、そういうところが…… ホントに! というか…… ヒラヒラって言い方も やめてよ〜!」
「あっ でも、拍手の練習はお願いねっ」

満更でもなさそうな幸代は優しい笑顔だった。

「おぅ!そうだな それと、笑顔の練習もしないとな」と私。

そんな仲睦まじい微笑ましいやりとりで日々を過ごしながら…… 
気がつけば 本番はもう明日に迫っていた。

そんな土曜日の夜。
 
パジャマ姿の二人 それぞれが、くつろぎの時間を終えて そろそろ一日の幕を閉じようとする時間のことだった。

「……あ、そうだ」

テレビを消して、さぁ寝るか〜 と思い、立ち上がりかけた時、何気なく 私は口にした。

「カアサン、いよいよ明日 嫁ぐんだろ?」
「だったら、いちおう 挨拶みたいな “儀式” とか ないの?」

正直 自分でも、なぜそんなことを言ったのかは分からない。
完全に軽はずみな冗談のつもりだったし、顏には笑みさえ浮かべて、もちろん大した意味もなかった。
さらに言えば、これまで何度となく幸代に言ってきた冷やかしのひとつ…… その程度のつもりだった。

「はぁ? まったく! なに言ってるの…… わたしは寝ますよ〜」

幸代も苦笑いを浮かべて、流すように返してきた。

からかいついでに私は、もう少し絡んでみた。

「だって よくあるじゃん、嫁ぐ日の前の夜に、わざわざ かしこまって…… 儀式みたいな」
「白無垢だっけ? 花嫁衣裳が掛かった前で、手をついて おおげさに挨拶するんだろ?」
「カアサン しないの? というか…… してみれば? いちおう聞くだけ聞いてやるけど?」

私の言葉に、幸代は思わず プッと軽く笑って、

「もぉ! トオサン それ、いつの時代の話?」
「いまどき、そんなことしないと思うよ……」

と、いつもの調子で返してきた。

「そっか、ざんねん!」
「でも まぁ、今 いきなり正座して 膝を悪くしてもマズいしな…… 膝、大事だから あはは……」

私も軽く笑って、この煽り話は終わると思っていた。

だが…… 彼女は一度だけ、小さく息を吐いた。

そして、不意に私の前に回り込んだかと思うと、リビングの絨毯の上に、すっと正座をしたのだ。

(えっ? どした?)

急なことで、私は呆気にとられ ただ口を開けて 彼女の姿を見下ろしていた。

幸代は、背筋を伸ばし 膝の前に揃えられた両手は、きちんと三つ指をついていた。
そしてしっかりとした眼差しで私を見上げた。

「トオサン……」

その声は、いつもの幸代よりも少し低く、落ち着いていた。

「長い間、本当にお世話になりました」

大げさな言い回しも、芝居がかった仕草もない。
なのに…… リビングの空気が、すっと張りつめた。

(えっ?)

もはや私は、立っていられなくなって、彼女の目の前に、同じように腰を下ろしてしまった。
そうしないといけない雰囲気になってしまったから。

私へ向けた目を離さない幸代は、

「今日まで、ありがとうございました」

ゆっくりと そう言って、深く頭を下げてしまったのだ。

(え?)

笑うべきなのか、「やめろよ」と言うべきなのか、判断がつかなくなった私は 言葉を失ってしまった。

「……はいはい。 冗談だよ、冗談」

ようやく出てきた私の上ずった声は、いつもの調子に戻すような、わざと軽い言い回しで、なんとか 先に空気を壊わすことができた。

「いやぁ、急に…… カアサン、びっくりさせるなよ〜」

私は手を振りながら立ち上がった。

「なぁーんて ねっ! もう! トオサンったら〜」

幸代も照れたように笑い、「あ〜 恥ずかしかった」 と呟きながら すっと立ち上がった。

さっきまでの張りつめた空気は、きれいに消えていた。 けれど、消えたはずの空気の輪郭が、絨毯の上にだけ薄っすらと残っているような気もした。

「さぁ 寝ましょう…… 眠いよー」

幸代は そう言って 何事もなかったかのように、いや照れ隠しもあって そのように振舞ったのかもしれないが 背を屈めてリビングから出た。

私も後を追いながら、

「そうだな、明日は大事な嫁入りの日だからな〜」

「あっ!もぉ! トオサン、まだ そんなことを言ってるし……」
「ふっ…… ふはぁ〜あ〜……」 本当に眠そうにあくびをする幸代。

「あはは…… 冗談 冗談 おやすみ〜」

「おやすみなさいっ☆」


[4] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/10/25 (土) 02:13 ID:fm1CrgoQ No.32405
いつもの、本当にいつもと変わりのない日曜日の午前。

「今日はいい天気ね〜」

カーテン越しに差し込む光は、昨日までの本格的な雨が大気中の塵までも洗い流したかのように澄んでいて、空は抜けるような青さを見せていた。
6月の朝らしい、少し湿り気を含んだ風が、窓から静かに入り込んでくる。

ついに、この日を迎えた……
 
大げさな感慨は、まだ私の中にはなかったが、朝の空気は とても軽く感じられた。

いつもの時間に朝食を終え、いつもの日曜のルーティン。
私は風呂掃除、幸代は洗濯を淡々とこなした後は、それぞれが思い思いの時間を過ごすまでがセットになっている。
体が覚えている動きだから、考えなくても手は動いた。
ただ今日の私は、頭のどこかで「このあと」を思い浮かべながら、妙に機嫌が良かったのは確かだった。

「トオサン じゃぁ、ちょっと行ってくるね〜」
「目薬と…… ほかに何か、買ってくるものある?」

幸代は薄手のトレーナーにデニム姿 いつものスニーカーを履き、自転車に乗って近所のドラッグストアまで買い物に出かけた。
「このあと」を控え、特に焦っているわけでも もちろん悩んでいる様子もなかった。
いや、むしろ意識して “いつも通り”を演じていたのだろうか……。

「おぅ、気をつけて!」

私は私で、手持ち無沙汰を紛らわすように庭先へ出た。
愛車の軽自動車にホースで水をかけ、洗車を始める。
勢いよく水が跳ねる音、スポンジがボディを撫でるキュッという感触。 単調な作業を繰洗車という作業は、頭を空っぽにするにはちょうどいいはずなのに、今日はそうはいかなかった。

ふとポケットからスマホを取り出し、画面を点ける。

(……まだ9時半か)

といっても、これからワックスまでかけるのは時間が微妙だ。
かといって、家の中でじっとしているのも落ち着かない。
私は、平凡な家事の延長を装いながら、午後に待つ“非日常”を意識し始めている自分を、はっきりと自覚していた。
静かに、でも確実に、胸の奥がじわじわとワクワクの温度が上がっていく。

天気が良いおかげもあって、気持ちよく洗車を終えて ボディを拭いていると、幸代が自転車のブレーキを鳴らして帰ってきた。

「うわぁー、綺麗になったね〜」

振り返ると、幸代がビニール袋を提げて立っている。

「あ、今日はポイントセールだったから、湿布も買ってきたよー…… ほらっ」

ビニール袋から取り出されたのは、いつもの湿布薬。

「おぉ! サンキュー」

私は手を挙げて応えながら、その何気ないやりとりに、胸の奥が少しだけ緩むのを感じていた。
こういう小さな積み重ねが、30年という時間なのだ。

後片付けを終えて リビングに戻ると、コーヒーメーカーが立てるコポコポという音と共に、香ばしい匂いがふんわりと漂ってきた。

私のマグカップに注がれたブラックコーヒー。
リビングのソファに深く腰掛け、ゆっくりと口に含む。
幸代もリビングの絨毯に直に座り、レシートを整理しながら自分のカップを両手で包み込んでいた。

不思議なことに、私はコーヒーの味はほとんど感じなかった。
さらに、テレビから流れるバラエティ番組の賑やかなトークに、必要以上に声を上げて笑う。
一方、幸代はレシートを揃える手を何度も止めて、壁に掛かった古い振り子時計をちらり、またちらりと見ている。
そのたびに、小さく息を吐いていた。

「トオサン…… お昼、早めにしちゃっていいよね?」

ふいに彼女がこちらを振り返らずに言った。

「あ、うん いいよ そうしよう……」

キッチンに立つ彼女の背中が、いつもより少しだけ硬く見えた。

「トオサン、ピザ 温めるねー  あと、ジャムパンでいいかな?」

「あぁ、いいよ サンキュー」

昼食と言っても、冷凍庫にあったピザをオーブンで焼くだけの簡単なもの。
それでも、部屋に漂い始めたチーズの焼ける香ばしい匂いが、なぜかパーティーの前の準備のような、そわそわとした高揚感を連れてきた。

幸代は買い物で買ってきた菓子パンを皿に並べ、焼き上がったピザも適当に切り分けた。

私たちは 皿を挟んで向かい合う。

「アチチッ……」 私はわざと大げさに熱がって見せたが、幸代は「もぉ 気をつけてよ」と小さく笑ったきり、手元のピザを小さくちぎって口に運んでいた。
いつもより、ひと口がずっと小さい。

幸代はピザを口に運びながら、時折、自分の左手の薬指を右手でさすっていた。
無意識の癖だろうか。そこには、30年寄り添ってきたはずの、見慣れた細い指がある。
私はそんな彼女を眺めながら、午後に彼女が纏うであろうウェディングドレスの白さを想像していた。

こうして、いつもの日曜日よりも早めに済ませた昼食の食器は、きれいに片付けられ、テーブルの上には何も残っていなかった。 まるで部屋じゅうが、これから始まる“何か”に向けて息をひそめているかのように静まり返っている。

私は当てもなく目を通していただけの新聞をたたみながら、幸代に声をかけた。
実は私の方が 早く行って 彼女のドレス姿を見たかった、ということもあって……。

「カアサン、そろそろ準備したら?  ちょっと早めに出たほうがいいよ。 日曜の午後って道路も混むからな」

幸代はソファにもたれたまま、天井をじっと見つめていた。
その瞳はどこか遠くを彷徨い、まるで心の中で何かを確かめているかのようだった。
ゆっくりとまぶたを閉じ、長く深い息を一つ吐き出す。
その呼吸には、ためらいと決意が入り混じり、微かな震えが感じられ
彼女の手が膝の上でぎゅっと握りこぶしを作った。

やがて、重たい沈黙を破るように小さな声で、彼女は「うん……」と呟いた。
その一言は短いが、そこには言い訳を許さない強さと、これから進む道を覚悟した静かな決意が宿っていた。

数分後、準備を終えた幸代が戻ってきた。

「ごめん、お待たせしました」

普段の外出姿と変わらぬ、薄いピンク色のコットンシャツにベージュのスリムパンツ。
ロングボブの髪は無造作にまとめられ、メイクは最小限のナチュラル仕様だった。

いつもなら幸代の外見に何かを求めたり、まして評価や意見などしない私だったが、

「カアサン、せっかくの晴れの日にカジュアルすぎるんじゃないか?」

と ついつい 言葉を掛けてしまったのだ。

「もぉ トオサン! そんなふうにプレッシャーをかけないでよ〜」
「それに、晴れの日とか、おおげさなんだから……」

たしかに、さすがにこのタイミングは彼女も緊張がピークになっていたのか、笑みを含めた返答のトーンが少し固い気がした。

私は緊張を解す意味を込めて、

「でも、カアサン…… お嫁さんになるんだから 化粧くらいは、バッチリしておかないと受け付けてもらえないぞ?」
「嫁に出す側の責任というのもあるからな…… あはは」

と さらに私が冗談っぽく言うと、

「もぉ! これで十分なの! トオサン、いちいち うるさ過ぎー」
「ちゃんと受け付けてもらえますよ! もぉ!」

頬を膨らまして、笑顔で怒ったふりをする幸代だった。

「それに どうせ、あっちで化けるんだから……」

最後にぽつりと呟いた言葉に、彼女の照れくさそうな表情がわずかににじんだ。
胸元の第一ボタンだけが外され、わずかに覗く鎖骨のラインが、いつもより少しだけ女性らしく見えた。

目元は薄いアイラインだけで、素肌のように自然なのに、どこかいつもより柔らかく深い眼差しに感じられる。

そして何よりも目を引いたのは、スリムパンツの裾から覗くストッキングを穿いた足元だった。
いつものくたびれた靴下ではなく、淡いベージュ色で肌にぴったりと沿う薄絹のような質感。

しなやかな足首が、ストッキング越しに浮かび上がり、見慣れた日常から一歩踏み出した特別な瞬間を告げていた。
彼女が足を動かせば 足首にかすかに寄るストッキングの細かなシワ、さらに つま先部分の色の濃くなった補強の境界線…… 私は一瞬、目が釘付けになった。

だが しかし 咄嗟に、見てはいけない彼女の「女」の部分を覗き見てしまったような、言いようのない後ろめたさと高揚感に襲われた。
慌てて視線を逸らしたが、自分の頬が少しだけ熱を帯びているのに気づいた。

(……何をドキドキしてるんだ、オレは)

幸代は靴箱から黒い革のローファーを取り出し、そっと手に持った。

「ん? スニーカーじゃないの?」

私は軽く声をかけると、彼女は靴を置きながら小さく肩をすくめた。

「いちおう、チャペルに行くんだから、せめてこれくらいはね……」

ぽっと頬が赤く染まり、その赤みは化粧とは違う、彼女の本当の血の色だった。
その自然な紅潮は、どこか艶めかしく、私の胸をきゅっと締め付けた。

幸代は玄関の段差に腰掛けて、慎重にローファーに足を入れた。

「……あ、やっぱりちょっと滑るかも」

立ち上がった彼女が、玄関のタイルを確かめるように小さく足踏みをする。
いつもの綿の靴下のような確かなグリップ感はなく、薄いナイロンに包まれた足先が 革靴の中でわずかに泳いでいるようだった。

「まっ、こんなもんかな……」 と幸代。

苦笑いしながら一歩踏み出した彼女の足取りは、いつもの軽快なものとは違い どこか覚束ない。
その不自由さ をあえて受け入れている彼女の姿に、私は普段のパート帰りの主婦幸代とは違う 一人の“成熟した女性”を見た気がした。

「ふーん、気合入ってるじゃん! シニアの花嫁さん!」

冗談めかして言うと、幸代はくすっと笑いながらも、顔を背けた。

「もぉ! ホント“シニア”って言葉、余計なんだから!」

耳が真っ赤に染まる彼女の様子は、昔の恥ずかしがり屋な面影そのままだった。

私は彼女の着替えなどが入ったキャリーバッグのハンドルを握り、思わず彼女の若い頃を思い出していた。

恥ずかしがり屋だけど負けず嫌いで、一度決めたことは最後までやり通す。
そんな彼女の強さと繊細さが、今も変わらずこの人の中にあるのだと。

「期待してるから、頑張れよ!」

声に力を込めて言うと、幸代は照れ笑いを浮かべ、でもどこか嬉しそうに私を睨んだ。

「えー! 期待されると困るんですけどー」

そう言いながらも、瞳はきらきらと光っていた。

玄関の扉を開けると、外は見事な晴天だった。
空は澄みきり、雲ひとつない青空が広がり、初夏6月の心地よい風が吹き抜けていく。
同時に、私は一瞬、胸の奥がぎゅっと締めつけられるのを感じた。

(いよいよだな。 もうすぐ、カアサンのドレス姿が見られるんだ)

幸代は普段着のままだけれど、その背中には普段とは違う、非日常のオーラが漂っていた。

私は笑顔を作り、声をかけた。

「結婚式にピッタリの青空だな……」

「ただの撮影よ…… 結婚式だなんて」

素っ気ない幸代の返事は、まるで“撮影”だと自分自身に言い聞かせているかのような口調だった。

「空までも、カアサンを祝福しているみたいだし……」

「もぉ! 馬鹿なこと言わないで!」

否定する割には満更でもなさそうな幸代の口元は綻んでいた。

「じゃ、行くか…… カアサンが逃げ出さないように、チャペルまではノンストップで送り届けないとな」

私が言うと、彼女は小さく笑い、ほんの少しだけ安心したような顔をした。

車のドアを開け、二人が乗り込むと空気が変わった。
いつもの日常から、これから始まる特別な時間へと、そっと現実が姿を変えた瞬間だった。


[5] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/10/25 (土) 02:13 ID:fm1CrgoQ No.32406
助手席に腰を落ち着けた幸代が、静かにシートベルトを締めた。
カチリと小さな音が車内に微かに響く。

一拍、間を置いて、彼女は“ふう〜”と長い息を吐いた。

その吐息は、単なる緊張ではなかった。
言葉にすれば崩れてしまいそうな感情の澱を、そっと外へ逃がすような深さを帯びていたのだ。

「ホントに、わたしみたいなオバサンがウェディングドレスなんて、笑われたりしないかな」
「……ドレスってさ、似合うか似合わないかより “着る資格があるか” なんてことを考えちゃって……」
「若い子に、イタイって思われたらどうしよう……」

ポツリポツリと零れてくる言葉はネガティブではあるけれど、口調は思いのほか柔らかくて、どこかあどけない。

私は運転席でちらりと視線を向け、意地の悪い笑みを口元に浮かべた。

「あはは!そうかもな〜 SNSで “熟年の純白”とか、“奇跡の花嫁再臨”とか、タグ付きでバズったりして」

「うわっ!ちょっと〜! もおっ やめてよっ!」

幸代は目を見開きながら、頬を膨らませた。

(いやいや本人も満更でもなさそうだし、まだまだ ぜんぜん余裕ありそうだな)

私は少し安心した。 
そしてなによりも、そんな幸代が微笑ましく愛おしかった。

信号待ちで、ふと 助手席で膝を揃えて座る彼女の手元に目が留まった。
車内に流れるJ-POPに合わせて、彼女の指先は膝の上で小さく拍子を取っていた。
その なんてことのない動き……。

(……え? マニキュア?)

いつもなら飾り気のない彼女の指先に、ごく淡いベージュピンクが、陽光を弾いて上品に艶めいていたのだ。

「(カアサン、爪……)」

喉まで出かかった言葉を、私は慌てて飲み込んだ。
なんだか、それを指摘すること自体がひどく気恥ずかしく、野暮なことのように思えたからだ。

だが 私の視線に気づいたのだろうか、幸代の指先がピクリと跳ね 拍子を取るのを止めた。
彼女は何も言わず、ただ静かに、その手をもう一方の手で隠すように重ねた。

私もあえて何も触れず、前を見つめたまま 青信号にアクセルを踏み込んだ。

どのように表現をすればよいのか、驚きと嬉しさ 少しの誇らしさという感情がジワリとこみ上げて、私は なぜか照れくさくなって、気がつけば片手は口元を覆っていた。

車は住宅街を駆けながら並木道へと出る。
木漏れ日が、車の屋根をリズムよく打ち、ゆらゆらと揺れる光の影が幸代の頬を優しくなぞっていた。

エンジンの振動がごく僅かに伝わる中、私たちを乗せた車は、日常の輪郭を静かに離れていく。

アクセルを踏むたびに、交差点を曲がるたびに、純白のドレス姿の幸代に会える、という楽しみに近づいていることを実感し高揚している私。

機嫌の良い私の口からは、思わず言葉がこぼれた。

「久々のちょっとしたドライブになっちゃったな〜。 天気も抜群で最高だし、気持ち良いなー」

鼻に掛けたような私の明るい口調に、

「うーん、ドライブかぁ…… ホントにドライブだけなら良かったのにねー こんなに気持ちの良い青空の下だし……」

幸代は肩の力を抜くように笑顔で答えて、視線を外へ移した。
その目元はどこか柔らかく、懐かしさと優しさが重なっていた。

時折、私は彼女の足元に視線を移す。
スリムパンツの裾とローファーのあいだにある、ストッキングの滑らかな淡い輝き…… そしてマニキュア。
なぜか 心が落ち着かなくなっていた。

冗談抜きで、今日の幸代は本当に愛おしかった。

車はやがて郊外の農道へと入った。
視界がひらけ、水田に反射する陽の光が、まるで水面に咲いた銀の花のように瞬いていた。

「ねぇ……」

幸代が助手席の窓を少しだけ開け、外の風を受けながら私に。

「ん? どした?」 幸代からの不意の問いに少しだけびっくりした私。

「なんか ぜったい変だよね…… トオサンとわたしが…… っていうか、旦那さんと奥さんが奥さんの結婚式のために一緒にチャペルに行ってるとか……」
「しかもわたしだけがウェディングドレスを着て、誰かの花嫁さんになるなんて……」
「バツイチでもないのにねー」

私は運転しながら、肩をすくめ苦笑しながら、

「たしかにな〜。 自分の娘よりも先に、まさか自分の女房を嫁がせる日が来るとはな……」
「里奈が知ったら、ビックリするだろうな」

20代半ばの娘 里奈には、まだそんな(結婚の)気配すらない。

「うん…… あの子、真面目に驚くよね。 あの子が着るのじゃなくて母親のわたしがウェディングドレスを着て結婚するだなんて……」

「あはは! そうだよなー。 こんなケース 珍しいというか、ありえないよな」
「あいつが知ったら驚くどころか、怒るかもしれないな……」
「昔から負けず嫌いだし…… どうしてカアサンがドレス着るのよ! わたしでしょ! って」

私は愛娘の膨れっ面を思い浮かべると、つい笑みがこぼれてしまった。

「でしょ? うんうん 絶対に怒る。 でも、それ思うと可愛いらしいところもあるし、なんか面白いよねー」

ふふっと、幸代も笑顔を浮かべ、再び車窓の外に視線を移す。

心地の良い初夏の風が車内に滑り込み、彼女の髪をふわりと揺らした。
うなじからこぼれた髪の先が、微かに頬をかすめていた。

私たちには馴染みのある懐かしのJ-POPをBGMに、車は軽快にチャペルに向かっていた。


[6] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/10/25 (土) 02:14 ID:fm1CrgoQ No.32407
快晴のもと、二人を乗せた車は “快走” している。
フロントガラス越しに広がる6月の空は、吸い込まれそうなほど真っ青で、どこまでも高い。

(それにしても、これ以上ないくらいの晴天だな)

そんなことを思いながらハンドルを握っている私の口から、何気なく言葉がこぼれ出た。

「カアサン、さっきの話だけど……」

「うん?」

「いや、今ってさ…… 女房が嫁いでいくのを、亭主がチャペルに送っているんだよな?」

「あはっ! そうなのよ〜 やっぱり なんか変でしょ?」
「ありえないことをしてるよね わたしたち」と笑顔の幸代。

「うん、絶対におかしい」
「しかもドライブ気分で、二人とも すごく嬉しそうに喜んで 笑ってて…… なにこれ? って 感じだよなー」

独り言のような私のトーンに 幸代が茶化すように笑顔で聞いてきた。

「ねぇ……  自分の奥さんが これから嫁いでいく、って どんな気分?」
「だって トオサンは今、わたしを嫁がせようとしてるでしょ?」

「え〜? 気分? うーん、気分かぁ…… 気分なぁ……」 

無感情で無感覚だった私に、じわりと嫌な汗がにじんだ。

幸代の問いかけで昨夜の“儀式”のシーンが、脳裏に鮮明に蘇ってきたのだ。
三つ指をつき、こちらを見上げた彼女の瞳…… 冗談では済まない空気が漂っていた あのシーン……

なぜだか「嫁いでいく」とか「嫁に出す」というワードに 一気に調子を狂わされ、同時に一瞬前まで感じていた、ストッキングの光沢やマニキュアの艶への甘やかな昂りも、どこかへ霧散してしまった。

私は、言葉に詰まり、感情がどこか遠くに消えた感じになってしまった。

「しかも ドレス姿のわたしに、トオサンは笑顔で大きな拍手をして祝福するんだよ? 大丈夫?」

そんな私に顔を向けて、助手席の彼女は いじわるな笑みを浮かべて 更にたたみかける。

「わたしがお嫁に行くと、やっぱり寂しい? 悲しい? 複雑?…… ねぇ、どんな気分なのか教えて?」

どうしても 昨夜の彼女の姿がチラついてしまって適当な返事が出せない私は、

「うーん…… んーー まっ、カアサン、幸せになってくれよ〜 って感じかなー」

苦し紛れに 冗談で言ったつもりだった。

しかし 口にした言葉と裏腹に、急に私の胸の奥はザワザワと落ち着かなくなってきていた。
そして、どうしても笑顔が作れなかった。

幸代が不思議そうな顔でこちらを見る。

「え? それ どういう意味? 幸せになれって……?」

「いやいや、深い意味はないよ…… まぁ、がんばれよ、ってことかな」
「まあ、笑顔と拍手なら まかせとけ!  しっかり祝ってやるから大丈夫だよ! ははは……」

私はコミカルに返したつもりが、どこかぎこちなかった。
自分で何を言っているのかわからないくらい、この会話になった途端、私は胸の中にひどく奇妙な感情が沸き上がってきていた。

(なんだ、この変な胸騒ぎは……)

たとえ単なるイベントで、撮影会だとしても、旦那が運転する車に乗って、愛する妻が見知らぬ男のもとに嫁いでいくのだ。
しかも夫婦二人は笑顔でフランクに、時に冗談も挟みながら 会話もして、外から見れば、普通に仲睦まじく微笑ましささえ 醸し出している。

なんとも滑稽な、そして違和感のある光景。

だからこそなのか、私はこの時 初めて一抹の “不安” を感じてしまった。

(……こんなことってあるのか?)

すると幸代が笑顔で、

「え〜? トオサン、何が言いたいのか、わかんないよ〜」

意外にも彼女の柔らかな口調が、重くなりかけていた空気を そっとほどいてくれた。

(うんうん大丈夫。 何を考えているんだ オレは、まったく……)

そんな彼女の温かな笑みが 胸の奥に すうっと沁み込んでくるのを感じ、私は なんとか救われた気がした。

その後は会話も途切れてしまい 車内に静けさが戻った。
だけどそれは重苦しいものではなく、長年を共にした夫婦だけが持つ、心地よい“間”だった。

私たちの車は、途中からチャペルの案内板に従って、再び森の中の一本道に入ると、車内にも木々のざわめきが届くようになった。
決して不快にはならない適度な上りとカーブを繰り返しながら、奥へ奥へ まだまだ奥へと進んでいった。

そして、見えてきた……
木立の間から顔をのぞかせる、白く聳え(そびえ)立つ尖塔が。

青空のキャンバスに描かれたように、まばゆく、どこか幻想的な宮殿のようなシルエット。

それは思わず息を呑むほど壮大で荘厳な本格的な本物のチャペルだった。


[7] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/10/25 (土) 02:17 ID:fm1CrgoQ No.32408
宮殿のような純白の外壁が午後の光を正面から受けていた。
空の色さえ映し返してしまいそうなその壁は、現実の建物というより、遠くからずっと見てきた夢の輪郭が、そのまま立ち上がったようだった。

「来ちゃったな……」

私の呟きに助手席の幸代は言葉もなく、フロントガラス越しに そのチャペルを見つめていた。

あまりのスケールの大きさに圧倒されたのか、荘厳で厳粛な雰囲気に感動したのか、それともこれから始まるイベントに既に気持ちが入り込んでいたのか、とにかく彼女の目元がわずかに潤んでいたのを、私は気づかないふりをした。

チャペルの関係者用駐車場に車を滑り込ませエンジンを切ると、一気に静寂が車内を包んだ。

どこか現実感が揺らぎ、時間までもが少し止まったような錯覚。

「着いちゃったね……」

ぽつりと呟いた言葉に続けて、

「ここまで来たら、もう逃げられないね……」

冗談めかした言い回しなのに、幸代の声には、どこか寂しさと儚さが混じっていた。

彼女が緊張しているのは、はっきりとわかった。

「んっ どうした? もしかして怖いのか?」

私はあえて冗談っぽく軽いトーンで彼女に言った。

幸代は少し首を傾げ、言葉を探すようにしてから、

「うーん 怖いっていうより、なんか ちょっと緊張してきたかも……」
「思ってたのと、ぜんぜん違う感じかな〜 って」

強がっている彼女だったが、実は私も同じだった。

今日の今まで二人が勝手に思い描いていたのは……
のどかな草原に ぽつんと佇む小さなチャペル。
または、鄙びた村に さりげなく存在感だけはある 庶民的なチャペル。
どちらも写真映えはするけれど、どこか素朴で、肩の力が抜けるような柔らかな場所。

しかし実際は違っていた……

深い杉林の中に突如として現れた、まるで要塞のような 威圧感のある強固で重厚なチャペルだったから。

「うん、違うな。 もっと可愛らしいチャペルかと思ってたよ」
「でも大丈夫だって。 それよりも カアサンの純白のドレス姿で、シニアオバサン世代に勇気と感動を与えて……」

「えっ…… やだぁ〜、もぉ…… また、それを言う!」

幸代が慌てて遮り 頬を赤くする。
その仕草が、今の空気をほんの少しだけ、日常側へ引き戻した。

そんな幸代に、私も軽く笑いながら、

「終わったらさ、ショッピングモールに寄って いつものところでお茶でもしよう」
「あそこのケーキ、美味しいって言ってただろ? 頑張ったご褒美、ってことで」

その言葉に、幸代はシートベルトを外しながら、小さく笑った。

「ご褒美って…… 今度は子供扱いするんだからー」
「でも、うん それ、いいかも……」
「絶対だよ? 楽しみにしてるからねっ!」

幸代の笑みの奥に潜んでいたのは、少女のような無防備さと、大人の女の覚悟、その両方を知っている人だけが持つ、特別な表情だった。

「おぉ 絶対。 そのかわり カアサン しっかり頑張れよ!」
「オレも頑張って誰よりも大きな拍手してやるよ…… あはは…… よーし、行くか」

「うん」

ドアを開けると、外の光が差し込んだ。
私たちは車を降りて、言葉を交わさないまま 二人並んでチャペルの白い扉へと向かって歩き出した。


[8] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/10/25 (土) 02:17 ID:fm1CrgoQ No.32409

荘厳なチャペルの白壁が初夏の陽光を跳ね返していた。

周囲の緑が鮮やかに映える中、この建築物だけが異質な静けさを放っていた。
晴天に向かって真っ直ぐ伸びる白い尖塔の先端は、まるで天と手を繋いでいるかのように青へと溶け込んでいる。

まるでここだけ時間が止まったかのような、異質な空気が静かに漂っていた。

「マジ すげぇな……こんなに凄い所だったんだ。 しかも、けっこうデカいよなー」

思わず 私の喉の奥から漏れ出た言葉。
幸代のキャリーバックを片手に引く私は この建物に圧倒されっぱなしだった。

隣に並ぶ幸代は、何も返さなかった。
ただ唇をきゅっと結び、視線の先にある白亜の建築を、息を呑むように見上げていた。
その表情には、驚きなのか戸惑いなのか判別のつかない、淡い翳りが差していた。

重厚な扉をゆっくりと開ける。
冷ややかな空気が静かに漏れ出し、私たち二人をその内へと誘った。

中はまるで別世界だった。

高く広がる天井にゴシック様式のアーチが静かに頭上を包み込む。
整然と並んだ木製のベンチシートの隙間から差し込む光は、ステンドグラスを透して床に虹色の帯を描いていた。

幸代は沈黙したまま一歩を踏み出す。
だが、その足元は ほんのわずか かすかに震えていた。

「わたし、本当に大丈夫かな…… これって もう後戻りできないよね?」

幸代の呟きは、自分自身への静かな呪文のように響いた。
恐れと覚悟が入り混じる中、彼女の足はゆっくりと先へ進んでいった。

私は、そっと肩をすくめて、できるだけ笑顔になって軽やかに声をかけた。

「カアサン! これから嫁いでいくんだから、後戻りなんて言うなよー」

もちろん、精一杯の冗談を混ぜたつもりの軽い口調だった。

「そういう意味で言ったんじゃないよ……」と幸代。

「大丈夫、心配しすぎだって。 結婚式って言っても、撮影だけ ただの“ごっこ”だと思えば気が楽になるだろ? せいぜい1時間そこそこだろうし、ダメ元で適当にやれば?」

「……ごっこ……ごっこねー。 ごっこになるのかな……」

幸代は繰り返すように呟き、唇だけで微かに笑みを浮かべた。

だがその笑みは、まるで水に映った月のように、一瞬で消えた。
冗談のつもりだった私の言葉が、胸の奥にふと冷たい影を落とす。

(ごっこだろ? そうだよ、ごっこだよ…… な?)

むしろ私の方が心の中で自身に言い聞かせていた。

それでも胸の奥の何かがざわつき、違和感が静かに広がっていく。

楽しみにしていたはずの幸代のウェディングドレス姿。
それがついに目の前に迫り、実際に自分の目で見ることになると思うと、なぜだか 恐怖が募ってきていた。

その恐怖はまだ漠然としていた…… 
ただ確かなのは、これまでの日常が音もなく崩れていく予感が胸を締めつけていることだった。


[9] Re: ウェディングドレスの妻  けんけん :2025/10/25 (土) 04:19 ID:IKir3CuM No.32410
お待ちしておりました。
やはり、こちらでの投稿が正解だと思いました。
なんかゴッコではないという言葉にドキドキして来ました。
奥様は旦那さんには言えない何かを、会社から言われたのでしょうか?なのでただごとではないんですね。続きお待ちしてます。

[10] Re: ウェディングドレスの妻  tetu :2025/10/25 (土) 08:10 ID:JobVGDfo No.32411
待ってましたよ
これからどうなるのかドキドキです。


[11] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/10/25 (土) 11:10 ID:fm1CrgoQ No.32412
けんけんさま、tetsuさま  有難うございます。


静寂の中、コツ コツ コツ…… とヒールの音を軽やかに響かせながら、紺色のフォーマルスーツを纏ったスレンダーな女性スタッフが、迷いなく近づいてきた。

20代後半か30代前半だろうか、涼しげな目元、そしてきちんとアップに整えられた髪。
外見に隙のない その女性が放つ雰囲気は、空間の空気をほんの少し引き締めた。

「失礼いたします…… 佐山幸代さまでいらっしゃいますよね?」

少し驚いたように目を丸くして、「はい」と幸代は小さくうなずいた。

「やっぱり、そうですね…… よかったです」ニッコリと笑顔になった女性は続けて、

「ご来館、ありがとうございます。 イベント会社のチーフマネージャーを務めております、村川と申します。 今日一日、新婦 幸代さまの担当をさせていただきます」
「どうぞ、よろしくお願いいたします」

深く丁寧に頭を下げ、笑顔を浮かべて 幸代に名刺を差し出す所作は完璧で、言葉の温度も端正だった。

そんな村川さん、どこか揺るぎない芯のようなものが感じられ 洗練された雰囲気を漂わせていた。

「幸代さま、あらためまして本日はおめでとうございます」
「新郎新婦さまにとって、素敵なお式になるように誠心誠意 務めさせていただきます」
「ご不明なことがあれば、なんでも言ってくださいね」

上品な それであって柔らかな笑みを浮かべた村川さんから発せられた言葉が、私の胸に鋭く刺さった。

(はぁ? 何が おめでたいんだ? それに今、新婦さまって言ったよな?)

特に“新婦さま”と言うその響きが私の耳の奥で何度も反響し、まるで鈍い耳鳴りのように続いた。

これまで私の中では、このイベントはどこか牧歌的な“花嫁さんごっこ”のはずだった。
照れて恥ずかしがる幸代を茶化したり、そんな彼女のドレス姿を楽しみにしたり…… 
今日の今まで ずっと、私はそんな気軽な気持ちで過ごしてきたのだから。

だが、目の前で第三者が ごく当たり前のように幸代のことを「新婦さま」と呼んだ瞬間、すべてが一変した。
「ごっこ」などでは到底済まされない 確かな現実に、私は一気に押し潰されそうになったのだ。

「え?…… やっぱり嫌。 トオサン、わたし 行きたくない…… 帰りたい……」

幸代のかすかな呟きは、私にだけ聞こえた。

抗う間もなく、いきなり大きな流れの中に飲まれていくような展開に戸惑っているのか、彼女の声は 不安に震え、明らかに迷い 動揺し、恐怖さえ入り混じっていた。

私もまた、幸代が新婦となり、誰かのもとへ嫁ぐという重みを、ここにきて初めて実感していた。 
しかも(当然だが)、まだ心の準備は全くできていなかった。

(……いったい、これから どうなるんだ?)

私の胸の中でざわめきが広がった。

続いて村川さんは私に視線を向け、淡々と尋ねてきた。

「失礼ですが…… ?」

「あっ、僕ですか? えっと、僕は……  招待客の役というか、拍手だけの……」

言葉がうまく出てこなくて、最初は もごもごと詰まってしまったが、なんとか軽い笑顔を作って 自分の役割を伝えた。

「エキストラ、ですね?」と無表情の村川さん。

彼女の目が冷たく光り、そして声には微かな冷たさが混じっているような気がした。

「あっ はい、そうです そうです」

うまく伝えられなかった恥ずかしさと照れもあったのだが、なんとか強がりを込めて、私は少しだけ胸を張って答えた。

「そうですか…… まだ時間が早いので、別のスタッフからの指示があるまで、こちらでお待ちください」

その冷静な口調が、私の存在を一瞬で区別したように感じた。
新婦と招待客の扱いの違いが肌で伝わってきたのだ。

もちろん村川さんの態度が冷たいわけではなかった。
ただ、彼女にとっての「主役」は幸代であり、私は「背景」だった。
それだけのことだった。

私はあらためて、自分が今どこに立っているのか見渡した。

これから幸代が立つのは、光の当たる祭壇の中央。
私の居場所は、まるで影のように光の届かぬ端。
そして、幸代の隣に並ぶのは、私ではない。

「それでは 新婦さまのお控室にご案内いたします。 準備は整っておりますので、こちらへどうぞ」
「あっ、そちらのキャリーバックは お預かりいたしますね」

優しい笑顔の村川さんに促され、「はい……」と静かに頷いた幸代はゆっくりと歩き出した。

だが数歩進んだところで、幸代は不意に立ち止まり、こちらを振り返った。

言葉はない。 ただ、潤った目が私を捉えていたのだ。
迷いと不安が入り混じる複雑な色を湛え、何かを問いかけるように。

私には(いいの? 行っても……)と、彼女が訴えているかのように見えた。
だから私は幸代に向けて そっと右手を上げた。

「行ってこい。 がんばれ」

声は掠れ、少し震えていた。

「……うん」

幸代は目を伏せて 頷くこともなく “新婦”になるために 一歩踏み出した。


[12] Re: ウェディングドレスの妻  けんけん :2025/10/26 (日) 21:12 ID:03QvZ.oU No.32413
何か奥様はご主人に言わなきゃいけないことを言えてない気がします。ごっこでは無い様な展開ですね。続きお待ちしてます。

[13] Re: ウェディングドレスの妻  きーくん :2025/10/29 (水) 10:54 ID:rNk8GicQ No.32420
佐山さん

いよいよ事が動き出しましたね。
自分に置き換えてゾクゾクしています。

妻が妻でなくなる喪失感、恐怖感と
相反する期待感、興奮が複雑に交差します。

今後の展開を心待ちしています。


[14] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/10/29 (水) 22:02 ID:HgNBIVPI No.32425

まるで白い光の中に吸い込まれるように、幸代の背中はゆっくりと遠ざかっていった。

その姿が完全に視界から消えるまで、私は言葉も動きも失い、ただただその場に立ち尽くしていた。

胸に広がっていたのは、言葉にできないざわめきだった。
痛みでもなく、悲しみでもない。

それは不安……

深くて静かな不安が、私の胸の底をひたひたと濡らしていた。

それでも唯一の救いだったのは、不安なのか緊張なのか 表情を強張らせて「行きたくない」とまで言っていた幸代が、村川さんと話をしながらでも なんとか前に歩みを進めていたことだった。
もしかしたら あれだけ(“新婦”ではなく)“花嫁”として ウェディングドレスが着られることを楽しみにワクワクと嬉しそうに待ち望んでいた気持ち に戻ってくれたのかもしれない…… 
一方的ではあるが、私は幸代のことを そんなふうにポジティブに思うようにした。

一人で佇んでいた私は、チャペル内の設営で 忙しなく動き回り始めたスタッフの邪魔にならないように、とりあえずチャペルの外へ出ようとした。

その時 背後から、

「招待客役のエキストラさん? お疲れさんですね。 えっと お名前は?」

水色のスタッフ用のトレーナーを着た若い男性が私に声を掛けてきた。

「あっ 佐山です。…… 佐山康則 ですが……」

「はいっ」と、すぐに彼は手にしていたバインダーに閉じられていたリストを捲り、所定のページから座席一覧を指しながら、

「んと、佐山さんの席はココ。 まだ2時間? いや2時間半くらいあると思うので、座って待ってもらっていても良いですよ」
「あんまりウロウロされると ウチらの邪魔になってもいけないので…… あっ、危ないからね」

言い方に悪気がないのは わかっている。
けれど、息子くらいの年齢の男に、邪魔だとか言われると、正直 気持ちは穏やかではなかった。
ただ彼は彼なりにプロとしての役割をもって設営の仕事に没頭しているのは理解できた。
それに、こんなところで腹を立てても仕方がない。

「そうですね…… はい、わかりました」

素直に私は若いスタッフの指示に従うことにした。

彼の指していた席は、招待客席エリアの一番後ろの 一番隅っこで、残念ながら ヴァージン・ロードからは一番遠い所だった。
そういえば、と幸代が無理を言って私をエキストラに入れてくれたことを思い出して、それだと尚更、不満など言える立場ではないことも自覚した。

指定された席に腰を下ろすと、背中に触れた木の冷たさが じわじわと染み込んできた。

(外は、あんなに初夏の陽気だったのに……)

まるで私自身のテンションの低さが、そのままこの冷気に繋がっているかのような気がした。

何気に、左前方に設置されていた白いスクリーンに視線を向けると、その下には“新郎役”と思われる男が立っていた。

遠目に見たところ、まるでK川晃司さんを思わせるような、体格も良くてワイルドで品のある都会的な雰囲気を纏っていた。
シルバーグレーのタキシードがその精悍な表情に溶け込み、彼は数名のスタッフと軽口を交わしながら、自然な笑顔を浮かべていた。

おそらく私と同じくらいの年齢だろう、撮影の映えもあるのか、背が高くてスラリと伸びたその立ち姿がひときわ目を引いた。

背が高くてスラリ……か、 
彼の背丈と私の背丈……は?

先ほど声を掛けてきた若いスタッフが私と同じくらいの背丈だったこともあり、そのスタッフと並び 話をしている“新郎役”の彼は、そのスタッフ “つまり私”よりも、頭ひとつ分くらい背が高いのが 離れた席からでも見て取れた。

おそらく175〜180cmだろうか、いや もっと……?
私の身長は165cmだから、コンプレックスを抱いたのも事実だ。

それに加えて、彼の醸し出す 余裕のありそうな雰囲気と安定感 そしてカッコ良さに、私は言葉にできない劣等感を抱いてしまった。

(……負けたな)

さらに、幸代とその男が並ぶ姿を想像してしまい、胸の奥がきゅっと縮こまった。

そんなふうに感じている自分が嫌で、無理に自分に言い聞かせた。

(いや、160cmもない幸代と並んだら むしろ凸凹して絶対にバランスが悪いだろう、全然 似合わないな、見映えだって良くないし……)

そんな言葉が頭をよぎった、いや 無理にでも よぎらせた。

(わかっている…… これは自己防衛なんだ)

自分自身を守るために作り上げた つまらない理屈/屁理屈で、胸の奥に広がる引け目を どうにかして消し去りたくて、必死に言い聞かせているだけだとわかっていた。
だけど、そう思わずにはいられなかったのだ。

とにかく私は彼から視線を剝がし、ふたたびヴァージン・ロードから、その先の祭壇へと這わせた。

そこは幸代が立つ舞台。
真っ白なドレスに包まれた“新婦”としての場所。

さっきまでの私はその姿を見たいと思っていた。
でも今は、見てはいけない、それどころか見たくもない気がしていた。

彼女の晴れ姿を見てしまったら、何かが壊れて、もう戻れなくなってしまうのではないか?
そんなおかしな予感が、胸の奥で静かに疼き始めていたから。

チャペルの天井は高く、その荘厳な空気が肌に絡みつく。
それは祝福の場に流れるはずの空気ではなく、まるで“儀式”の場にしか存在しない神聖で重厚で冷徹な沈黙だった。

私は ただ、黙って座り続けた。


[15] Re: ウェディングドレスの妻  ボルボ男爵 :2025/11/02 (日) 17:31 ID:YP5lGNhE No.32431
佐山様
どうかお願いです。最後まで書ききってください。
まるでサスペンスドラマのようでワクワク、ドキドキが止まりません。
文章も秀逸で引き込まれます。切なく悲しいラストが待っているような・・・・。
よろしくお願いします。


[16] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/11/04 (火) 07:37 ID:sd5pR5L2 No.32434
けんけんさま、きーくんさま、ボルボ男爵さま 応援、ありがとうございます。


数名の設営スタッフが慌ただしく行き来していたチャペルの中も、 少しずつ“儀式”の場にふさわしい静寂に向けた重々しく清々しい雰囲気へと変わりつつあった。

それでもまだ 時間的には式の始まりには早く、招待客役のエキストラもまばらで、その分だけ広い空間が不自然なほど冷たく、非現実的な浮遊感を漂わせていた。

私は指定された招待客席の末席に座ったまま、スマートフォンを無意味にいじっていた。
通知はひとつも来ていない、来るはずもない。
SNSは眺めるだけで、まったく頭の中に入ってこない。
なのに、指だけが勝手に動く。
画面を見て、閉じて、また開いて、ポケットに戻して、また取り出す…… そんな動作を何度繰り返しただろう。 
ただ、その動きが私の心のざわつきを隠す唯一の手段だった。

胸の奥に居座る感情は、言葉にしがたいものだった。
不安、緊張、苛立ち、嫉妬…… そんな単語を当てはめても、どれもピタリとこない。
もっと原始的な、ざわざわとした胸騒ぎが、呼吸の奥をかき乱していた。

自分なりに理解はしているのだ。
間違いなく これはシニア婚という企業の商品PRのための「撮影イベント」だ。 だから結婚式の演出も 幸代の新婦役というのも 単なる「ごっこ」なんだ、と。
幸代も 私も そして先ほど目にした新郎も、全員がこの日 いや、この時限りの “役者” “偽物” でしかないのだ、と。

幾度となく そんなことを頭の中に巡らせながら、いつのまにか私の体は自然と動き出した。
理由もなく私は立ち上がり、意味もなく私はチャペルの外へ出た。

どこに行くつもりなのか、自分でもわからなかった。 ただ、あの場所にずっと座っているのが耐えられなかったのだ。
スタッフに見咎められるのが嫌で、影を縫うようにして管理棟と思われる隣の建物へと向かった。

チャペルの古典的な造り同様に、渡り廊下の先に続くその建物も、時を止めたような重厚な石造りの洋館だった。
管理棟というにはあまりに装飾的で、蔦の絡まる外壁や、高い位置にある上げ下げ窓が、どこか人を寄せ付けない威厳を放っている。

怯むことなく私は一歩足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌を撫でた。
磨き上げられた寄木細工の床が、私の靴音を小さく跳ね返す。
壁に飾られた古い絵画や、真鍮製の燭台のような照明が、ここがただの事務管理棟ではなく、ここもまた特別な儀式のための「聖域」であることを無言で告げていた。

迷路のような廊下を、逃げるように、あるいは吸い寄せられるように進んだ。

やがて、一番奥まった場所で、私の足が止まった

目の前にあるのは、真っ白な扉。
その中央に、金色の横長の小さなプレートがひとつ掛けられていた。

《新婦御控室》

たった五文字。
けれど、その言葉の重さに、喉が詰まる。

(やめておけ)

どこかで声がした。 
自分の内側からの警告だった。
でももう届かなかった。

間違いなく、この扉の先には、照れながら 恥ずかしがりながら、それでも少しだけ微笑み、ハニかんで嬉しそうにドレスの裾を整えている、そんな可愛らしい幸代がいるのだ。

純白のウェディングドレスをあれだけ楽しみにしていた幸代が、「トオサン、どうかな?」と 私をニッコリと恥じらいの笑顔で迎えてくれるはずだ。

「ほおぉ〜 カアサン、意外にお似合いだな〜……」と私が言えば、

「意外だ なんて……もぉ!」
「トオサンって、あいかわらず 失礼なんだから〜」

膨れっ面をしながらも、優しく温かい眼差しで応えてくれる幸代。
いつも通りの私で軽く接すれば、きっと彼女も喜ぶだろう。

「ヒラヒラフリフリドレスの着心地はどうだ?」と私が からかえば、

「もぉ! トオサン! ちゃんと見てよね〜!」

可愛らしい花嫁さんに変身した幸代は、照れて顔を赤らめながら頬を膨らますだろう。
そんな彼女を目の前にすると、私まで……?

(いや、待てよ…… もしかしたら、オレが照れたりしたら カッコ悪いよな……)

私は、そんな明るく朗らかで微笑ましい やり取りだけを、頭の中にイメージした。
イメージに近ければ、私が今抱えているモヤモヤした気持ちは 一瞬にして消え去るに違いない。

そう思うと、この先 幸代と対面することが、とてもワクワクして待ち遠しくなってきたのだ。

ポジティブな気持ちに切り替えた私は ジョークの一つでも頭の片隅に浮かべながら、とりあえず 笑みを作って扉に手を伸ばした。

(よーし! ひとこと、オバサンを冷やかしてやるか)

あえてノックはしなかった。
きっと独りで寂しがっているだろう幸代に、ちょっとしたサプライズという思いも込めていたから。

だから ゆっくりと、静かに 覗くように、厚めの扉を押し開けた。


[17] Re: ウェディングドレスの妻  けんけん :2025/11/05 (水) 05:52 ID:xKf9l3tU No.32435
更新ありがとうございます。新婦の控室に入るのですね。ご主人であれば当たり前の行為なんですけど。なんかドキドキしますね。その先には何が待ち構えているのかすごく気になります。続きお待ちしてます。

[18] Re: ウェディングドレスの妻  ボルボ男爵 :2025/11/11 (火) 14:43 ID:drMQUFYU No.32439
ご主人が見た扉の向こうの光景は・・・・
早く続きを読みたいです。気になって一日何回もチェックしています。


[19] Re: ウェディングドレスの妻  きーくん :2025/11/12 (水) 10:08 ID:IH2s7KQU No.32440
佐山さん

現実の中の非現実に不安、緊張、苛立ち、嫉妬の気持ちすごく分かります。
半面、これから起こることへの期待感もあります。

嫁ぐ妻はどうなるんでしょうね。
続きを期待します。


[20] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/11/14 (金) 09:43 ID:i.Hfb2/w No.32441
けんけんさま、きーくんさま、ボルボ男爵さま ありがとうございます。


《新婦御控室》の重厚な扉を、私は意識的に静かにゆっくりと押し開けた。
指先に伝わる扉の冷たさと、ずっしりとした木材の重みが、ここが日常の地続きではないことを告げているようだった。

そこは思いのほか広々とした空間だった……。

壁は淡いクリーム色で統一され、柔らかな間接照明が天井から穏やかに降り注いでいた。
外界の喧騒は完全に遮断され、自分の耳鳴りまでもが聞こえるほどの静寂が、部屋の隅々にまで沈殿している。
天井は高く、視線を上げると繊細な木製の梁が走っていた。
部屋の一面に大きな鏡が据えられ、もうひとつの面に広めのドレッサーテーブルが添えられてあった。

窓は小さいが、重厚なカーテンが片側にゆったりと寄せられ、初夏の自然光が微かに差し込んでいた。
カーテンの柔らかな質感が、部屋の落ち着いた空気にぬくもりを添えている。

ドレッサーの隅には、白いレースで飾られたティッシュボックスと、数本の筆が並んだメイクブラシスタンド。
椅子は厚みのあるクッション付きで、座面も広くゆったりとしていた。

床は木目のはっきりしたフローリングで、長い時間使われてきたためか微かな擦り傷が見え隠れしている。
だが、その一つ一つがこの場所の歴史を物語るようで、どこか懐かしく温かな印象を与えていた。

空気はかすかに香水の甘い香りが漂い、どこか非日常の期待感と緊張感を孕んでいる。

この部屋は単なる控室ではなく、これから始まる“儀式”のための、静謐な聖域のように感じられた。
そこに立つ誰もが、ここで一旦、現実と切り離されて“役割”を演じるための準備をする場所だった。

私はこの空間に密かに足を踏み入れた瞬間、いつもの日常から遠く離れた世界へと誘われていることを、ひしひしと実感した。

そして…… 思わず息が止まった。

大きな鏡の前で(私には背を向ける形になって)ひとり静かに立っていたドレス姿の女性。

間違いなく幸代だった。

ただ 私の知っている“カアサン”ではなく、その姿は 今まで一度も見たことのない “新婦 幸代”がそこにいたのだ。

大きな鏡に映った彼女の姿は、私の目を離さなかった。

幸代が身にまとっていたのは、驚くほど眩しく そして神々しいミカドシルクのウェディングドレス。
ただ白いだけではない。その白さは、曇りのない硝子のように硬質で、光を吸い込んでは、ほんのわずかに跳ね返していた。
触れたら冷たそうで、でも同時に 柔らかく包み込まれそうな矛盾を孕んだ生地だった。

ドレスは王道の美しさと品格を備えたクラシカルなAライン。
オフショルダーで、胸元から腰にかけては しっとりとタイトに体に沿い、そこから一気にスカートが広がっていた。
ただの“可憐”ではない。 堂々としたボリュームがあり、まるで彼女自身が空間の中心を担うべき存在であるかのようだった。

トレーンには特に目を奪われた。
長く真っ直ぐなバージンロードに美しく映えるドラマ性を重視したかのようなロイヤルトレーン。
贅沢なまでの生地がレイヤー構造になって、いくつものシフォンと光沢のあるサテンが幾重にも折り重なり、波のように床を流れていた。
静かな控室の照明に照らされて、幾重にも折り重なる白が、真珠色や薄い青みすら帯びていた。

少しでも動けば、その光が表情を変え、ドレスの陰影を際立たせる。
あまりにも眩くて、一瞬、こちらの視線の方が罪深いような気さえした。

胸元には ただの装飾ではない、精緻な手作業のように思えるほどの繊細なレースの刺繍。
ゴールドとシルバーの糸がところどころに縫い込まれ、光を受けるたびにほんのりときらめいていた。
レースの柄は抽象的で、それがかえって 見つめる者に想像の余地を与えた。
そのレースの中には、シルバーの刺繍がほんのわずかに織り込まれていて、まるで吐息ひとつで散ってしまいそうな儚さと凛とした冷たさが同居していた。

そして肘上までぴったりと張りついたミカドシルク製のロンググローブは、滑らかなシルクサテンが指先まで続き、その繊細な生地が手の動きに合わせて肘部分にしなやかにしわを寄せ、淡い光沢を放っていた。
まるで皮膚の上にもう一枚、艶を纏っているみたいで、彼女の腕がこれほど長くしなやかだったかと、あらためて見惚れてしまった。
布の下にある“肉”の存在を、逆説的に意識させる。 だからこそ グローブに包まれた腕のラインのほうが、妙に生々しく魅惑的だった。

“清楚”というより “品格”という言葉こそ ふさわしい。
露出はほとんどないのに、逆にその“覆い隠し方”が、私の視線を引きつけて離さなかった。

官能とは こういう静けさのなかに潜むものなのか、と私は思い知らされた。

首元には、煌びやかで厚みのあるシルバーのネックレス。
花のつぼみを模したかのような大ぶりで立体的な装飾が、鎖骨のラインに並び、中心には透明な宝石のような輝きがあった。
さらにデコルテとドレス胸元までの素肌には煌めくラメが塗られ、照明を捉えて火花のようにチカチカと瞬いていた。それが彼女の呼吸に合わせて上下する胸元に、抗いがたい艶を与えていた。
だが、不思議と幸代の顔や表情を邪魔することなく、むしろ彼女の“凛とした存在感”を後押ししていた。

ゴージャスすぎるはずのそれらが、なぜか彼女には自然だったのだ。
“着せられている”のではない “選んで纏っている” そう感じさせるだけの強さと覚悟が、ドレスと共鳴していた。

両耳に揺れるのは、ボリューミィで存在感のあるシルバーのシャンデリアイヤリング。
小花のモチーフにスワロフスキーが煌めき、幸代の横顔まわりを華やかに彩っていた。
その繊細な動きすらも 整然とした美しさを放っていた。

髪は 両耳に垂らされた一部を除き うなじの少し上で上品にまとめられ、毛流れひとつひとつが計算されたように整えられていた。
そこに乗ったティアラは、少女の憧れではなく、大人の女が最後に許された冠のようだった。
自己主張は控えめだが、光を捕らえる角度が絶妙で、幸代の顔立ちを引き締めていた。

私はそんな“新婦 幸代”の姿を見て、まるで別の人間を見ているような思いに襲われた。

人懐こい笑顔が似合い 平凡で可愛らしい ごく普通の50代のパート主婦の面影はそこにはなく、凛と清楚で華やかで まるで純白の女王のような 妖艶で圧倒的な美しさがあった。

彼女は、まさにこの部屋の空気を支配する 揺るぎなき中心そのものだった。

だが……
私が最も驚いたのは、幸代の“顔”だった。


[21] Re: ウェディングドレスの妻  初級 :2025/11/14 (金) 18:46 ID:13.mI7yU No.32442
佐山さん、はじめまして、この話に引き込まれています。また続きを楽しみにしています。

[22] Re: ウェディングドレスの妻  けんけん :2025/11/15 (土) 05:53 ID:pSMNFMoE No.32443
更新ありがとうございます。読むだけで、衣装が想像できます。引き込まれてしまいます。
その衣装に隠された下着、また、奥様の表情かどうなってるのか気になります。続きお待ちしてます。

[23] Re: ウェディングドレスの妻  きーくん :2025/11/19 (水) 09:05 ID:BDjf3L8A No.32449
佐山さん

《新婦御控室》にいた彼女は、いつも見慣れていた妻ではなく、
妖艶な美しさを放った『新婦』の彼女だったのですね。
想像するに、その魅力に引き込まれてしまい、
目眩すらしそうな気さえしてしまいます。

新婦の妻の顔はどうだったのでしょうね。
続きを期待します。


[24] Re: ウェディングドレスの妻  アントラー :2025/11/19 (水) 09:12 ID:gU8knUwU No.32450
佐山さんからしたら、単なるb社内イベントでの出来事だと思っていたのが
とんでもない方向に奥様が行くのでないかという不安を呼び起こす
変貌ぶりだったのでしょうか?これからのこの催しの顛末と
奥様のその後が気になります。


[25] Re: ウェディングドレスの妻  ボルボ男爵 :2025/11/19 (水) 18:31 ID:k7Bt5QKw No.32451
佐山様

あまりコメントを入れると急かすようで申し訳ないなと思ってはいるのですが
やはり次が気になって仕方ありません。
奥様は奥様であってしかし別人のような妖艶な美を纏っているのかな、
などと自分の妻に置き換えるのですが現実の妻はそれとは程遠く、ソファに寝そべってスマホ三昧。


[26] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/11/19 (水) 21:35 ID:E7njNJj2 No.32452
初級さま、けんけんさま、きーくん様,アントラー様、ボルボ男爵さま  コメントをありがとうございました!



それは、ただの化粧ではなかった。
日常の延長にある“おしゃれ”ではなく、舞台の主役を “演じるための顔”。
皮膚の上に別人の人格を重ねた、もう一つの仮面のようだった。

ブライダルメイク……

ファンデーションは肌のトーンを一段階明るくしながらも、厚塗り感はなく、艶やかな質感が光を静かに跳ね返していた。 まるで陶器のように滑らかで、もとの肌の温かさがわずかに透けていた。

頬には、淡くローズを帯びたチークが、内側からにじんだ熱のようで、メイクであることを忘れさせた。

そしてアイメイクは、優しく柔和だった幸代の顔を 目力のあるシャープで強い女の顔に変えていた。
漆黒のジェルライナーで細く鋭く描かれたアイラインは、目尻にかけてわずかに跳ね上がり、彼女のまなざしにほんの少し“攻め”の意志を宿していた。
アイシャドウはブラウンからベージュのグラデーション。
光の加減によってはゴールドすら浮かぶような、絶妙な濃淡の層がまぶたを深く見せていた。
まつげは長く、一本一本が丁寧にセパレートされていて、瞬きのたびに、それが羽ばたくように見えた。

何よりも印象に残ったのは、唇だった。
深紅というよりも、毒を秘めた果実のような艶やかで光沢のある危険な赤。
ワインのように熟した、決して軽くはない、甘さと重さと濃さを併せ持つ 蜜に浸かった赤。
それは、口元の微笑を曖昧にし、感情を奥に隠すような色だった。
厚すぎず、尖りすぎず、でもただならぬ緊張を帯びた口元は、まるで “迷いを塗りつぶす” ための紅で、それは官能的でもあり さらに怖さすら感じるくらいの圧があった。
その唇がわずかに開くたび、紅の境界線から覗く、彼女自身の柔らかな粘膜の湿り気が、かえって生々しく、正視できないほどの毒気を放っていた。

(こんな色、幸代が選ぶだろうか?) 

ふと、そんな疑問が私の胸をよぎった。
彼女の顔は、たしかに美しかった。 
だが “私の知る、30年連れ添った妻の顔”ではなかった。
ガーデニングを好み 控えめで地味でありながら、どこか ほのぼのとして笑顔の似合う可愛い妻、幸代。
そんな彼女が、今はあまりにも完璧で、あまりにも作りこまれた“他人の顔”になっていたのだから。
見てはいけないものを見てしまったような、本能的な拒絶反応すら、私の中に芽生えていた。

幸代は鏡に映る “花嫁” に向かって、ほんのわずかに眉をひそめ、首をかすかに傾げた。
完成された“他人の顔”を前にして、どこか居心地の悪さを感じているような表情を浮かべていた。

そして幸代の真っ赤に潤った唇が静かに動いた。

「……なんか 違う……」

声には なっていなかった。 けれど、はっきりとその言葉が唇から読めた。
彼女自身、自分の変貌をまだ受け入れきれていないように見えた。

私はその背中を、ただ静かに まるで時間ごと凍ったように見つめ続けた。

幸代はそっとブーケが並ぶ棚の前に移動した。
色とりどりの花の中から、何かを選ぼうとして、でも決めきれない様子。
彼女の指先は、どこかためらっていた……
一輪を手に取っては 戻し、また別の花に目を向ける。
その仕草は、もっと遠くの別の何かへ 問いかけをしているかのようだった。

「これは本当に私の花?」「本当に……?」

そんな彼女の心の声が、指の動きの裏から聞こえてくるようだった。

部屋にはスタッフの気配も物音もなく、今 この瞬間、控室にいるのは私と幸代、二人きり。
静まり返った空間の中、かすかな衣擦れの音や、ドレスが床をかすめる微かな音さえも、やけに大きく鮮明に響いた。

「(カアサン……)」

私は思わず幸代に声をかけようとしたが、言葉を出せなかった。

なぜならそこにいたのは、「美しすぎる他人」だったから。
今、幸代は完全に私の届かない場所にいた。

私は立ち尽くすしかなかった。
息を潜め、まるで時間の外にいるかのように。

(見てはいけないものを見てしまった、見ない方が良かったかもしれない……)

そんな気持ちになった私は、まだ幸代に気づかれていないのを幸いに、ゆっくり後ずさりしながら 扉に 後ろ向きのまま手を掛けた。

コンッ カタッ…… 何かが接触した音。

(しまった!) 

小さな音だった。
けれど、あまりにも静まり返った室内には、はっきりと響いてしまった。


[27] Re: ウェディングドレスの妻  ボルボ男爵 :2025/11/26 (水) 08:53 ID:S4/fN1Fw No.32463
ご主人に気がついた奥様はいつものままの奥様だったのでしょうか
「あら、トオサン」って微笑みかけてくれるのでしょうか。
続きを楽しみにしております。


[28] Re: ウェディングドレスの妻  還暦 :2025/11/27 (木) 16:49 ID:368hIvFk No.32465
ブライダル関係の企業は近年、結婚式、婚礼や披露宴、挙式などの
イベント「ウェディング」が簡素化により、近年、大変な時代です。

その一環として “シニア世代のためのブライダル・プロモーション”
なる企画をされたんですか。奥さんの幸代さんが“花嫁モデル”に選ばれたのですか
奇麗な方なんでしょうね。

週刊誌などに、自分の体の老化を感じ始めた30代〜40代前半の女性は今の姿を
残しておきたいとアート性の高いヌード撮影を求める傾向が増へていて
偽フォトスタジオもあるようです。


[29] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/11/27 (木) 19:47 ID:ziTb7cCw No.32466
ボルボ男爵さま、 還暦さま  コメントをありがとうございました!




コンッ カタッ…… 室内には、はっきりと響いてしまった。

幸代が振り返る。

彼女の眼差しは、音がした方向 つまり私の姿を捕らえた。

目が合った瞬間、私は動けなくなった。

「……えっ? トオサン、来てくれたんだ…… 気がつかなかったよ、ごめんね」

その声は嬉しそうで、ほんの少し照れたような色を帯びていた。
けれど、彼女の瞳は、どこか揺らいでいた。
弱々しく、必死に平静を装おうとしているのが透けて見えた。

「どうかな…… 似合ってる?」

軽くおどけるように言いながら、私のために幸代は その場でゆっくりと純白のウェディングドレスを纏った身体を回した。
重厚なトレーンが波打ち、床を滑り 弧を描くように揺れ靡き、光を掬って煌めいた。

彼女の仕草には、喜びと同時に 慣れない場所に立つ不安が染み込んでいた。

「こんなにメイクが濃いと、いろいろ誤魔化せるんだよ」
「目元も鼻筋も、あとフェイスラインも。 なんか すごいでしょ?…… ほらっ」
「でも、さすがに 化けすぎだよね……」

照れ隠しもあるのか饒舌になりながら グローブ越しに自分の頬を指でなぞるしぐさは、どこかぎこちなく、わざとらしさすら感じられた。
まるで「自分の顔に慣れない」と訴えているようだった。

「わたしじゃなくなった、みたい…… かな?」

笑いきれていない彼女のその様子は、まるで自分の顔に “他人のような” 距離感を感じているかのようだった。
私は、彼女の首筋に光る微かなラメが、不安に揺れる喉の動きに合わせてチカチカと不規則に瞬くのを見つめていた。 その輝きは救いを求めるSOS信号のようにも見えた。

幸代の言葉に、私の中で何かが ふっとほどけた。

(幸代は、いや 幸代“も”不安なんだな……)

私は彼女のそんな心情を理解したつもりで、ニッコリと笑顔を作り、精一杯のジョークを並べ立てた。

「うん、カアサンじゃないみたいだなぁ…… 50代のオバサンには見えないよ、ホントに50代か?」
「ってか、本当にカアサンか? ずいぶん 若返らせてもらえて 良かったな あはは……」

少し間をおいて、幸代は小さく微笑んだ。

「もぉ〜! トオサン! また、そんなことを言って…… 歳のことは言わないでよ〜」
「トオサンって、まったく素直じゃないんだから〜」

そしてもう一度、彼女は「トオサン」と静かに私を呼んで すっかり威圧感を持った“目力"のある目を細めた。

潤いのある真紅の唇から発せられたのは “いつもの幸代” の声だった。
素直に嬉しそうだった。

まるで私と再会したことで、一気にいつもの自分に戻れたことに安心しているかのように いつもの幸代、いつものカアサンの口調に戻っていたのだ。

(カアサンって呼んでくれた、トオサンって呼べた……)

純白の鎧を纏い、妖艶な仮面を被った幸代だが、その声と表情は 初めてこの部屋で温かみを得たような気がした。

一方の私も(カアサンと呼べた、トオサンと呼んでくれた、ことに)気を良くして、意識して声を張って返した。

「いや〜 やっぱりオレの奥さんだ、間違いないな…… カアサンの晴れ姿、子どもたちにも見せてやりたいくらいだな……」
「大樹も里奈も、絶対に同じことを言うよ…… カアサン、綺麗! って」
「でも、里奈は怒るかもな…… あはは」

冗談まじりに聞こえたかもしれない。
ただ、私はこの精一杯の一言に すがるような気持ちを滲ませた。

(幸代をどこにも行かせたくない……)

4人家族として、30年連れ添った夫婦としての ”絆” を、この一言によって繋ぎ止めておきたかったから。
私は、とにかく 家族 夫婦 子どもたち、この言葉を口にせずには いられなかった。
それくらい焦っていたのだ。 言葉を重ねるほど、私の口の中は砂を噛んだように乾いていった。

幸代は、ふわりと表情を緩め笑った。

「え〜 子どもたちにも? それは、恥ずかしいよ〜」
「でも…… あの子たちも、きっとビックリするよねー」と弾む幸代。

「うん、ビックリしすぎて、声が出ないだろうな……」私も大きく頷いた。

ほんのひととき、あたたかい空気が夫婦二人の間に満ちた気がした。
少しずつでも、夫婦の間ま” に戻ってきているのが実感できた。

ふと、幸代は私の足元を見て くすっと笑った。

「わたし…… もしかしたら トオサンと背の高さが並んじゃったかもね」

幸代はそう言って、スカートの裾をしっかりと握り持って ハニカミながらゆっくりと私のもとに近づいてきた。

トレーンの重みを従えるように、ドレスの裾からチラリと見えた純白で尖ったエナメルハイヒールの細い踵が床を探りながら 前に進んでくる。
微かにコツコツ……と、わずかに遅れて響く音は、いつもの彼女の歩幅とは違っていた。
その一歩一歩が、慣れない高さに身体を預けている証のようで、私は無意識に彼女の足元へと視線を落とした。

ふわりと空気が揺れた。

ウェディングドレスから漂ってきたのは、上品で華やかでありながら どこか厳かで ほんのりと魅惑的な香りだった。
まるで香水のように、ふわりと私の感覚を擽った。
それは、いつもの柔軟剤の匂いとも、化粧ポーチから漂うカアサンの定番の香りとも違っていた。
明らかに“よそいき”の匂い、ドレスの香り、ドレスを纏った美しくも妖しい花嫁の香り……。
これまで30年かけて築き上げた「カアサンの匂い」の記憶を、暴力的なまでの華やかさと艶やかさで上書きしていくようだった。

その香りと合わせて、幸代のデコルテから胸元の肌に薄く伸ばされたボディイルミネイターが、まるで星屑を撒いたようにキラキラと肌に煌めき、彼女の “晴れの顔” を妖艶に際立たせていた。

普段の幸代とは、まったく違う誰かが 近づいてきているような、そんな錯覚すら抱かせた。

「やっぱり…… トオサンと同じくらい?」

そう言って 目の前に来た幸代は、ハイヒールのせいなのか、私と向き合う目線が同じ高さになっていた。

いつもは私の顎のあたりにあった彼女の視線が、今は逃げ場のない真っ直ぐな矢となって私の瞳を射抜いている。
それどころか わずかに上…… 私は、かすかに彼女に見下ろされているような気がしていた。 しかもシャープなアイメイクの効果なのか、その視線には鋭さと強さが宿っている。

「あはは…… そうみたいだな…… どうだ? いい景色だろ?」

目が逸らせなくなった私は不思議な感覚になって、とにかく狼狽えてはいけないと、なんとかジョークを捻り出した。

幸代と真正面から見つめ合う、人生で初めてフラットに。
物理的に“同じ高さ”に並んだ二人。

けれど その近さの中にも、彼女の眼差しには どこか“遠さ”があった。

「んーーー やっぱり、なんか変よ……」

威圧感のある目をした彼女が発したとは思えないくらいに、落差さえ感じさせる 弱弱しい小さな声だった。

幸代自身は、視線の平坦さに戸惑っていたのだ。
いつもの 私を見上げる 慣れ親しんだ当たり前の角度を 失ってしまったような…… そんな表情を浮かべていた。

「……ここまで綺麗にしてもらわなくてもよかったのに、ね」

深紅の口紅をまとった艶やかで潤い光沢のある唇から漏れた声は、ため息のように弱い。
至近距離で浴びるその吐息までもが、もう私の知っている幸代のものではなくなっていた。
そしてその表情には、変わりすぎて “戻れなくなる自分”をそっと見下ろす、もう一人の幸代の姿が、うっすらと重なって見えた。


[30] Re: ウェディングドレスの妻  きーくん :2025/12/03 (水) 07:58 ID:GY6n8fMk No.32471
佐川さん

普段見慣れた妻ではなく、研ぎ澄まされたようにさえ映る
妖艶な女性としてそこにいた姿を想像し、絞めつけられる
思いは佐川さんと同じように感じます。

また、近くに並んでも遠さを感じ、
むしろ上から見下ろ妻は、この後どう妖しさが増すのでしょう。


[31] Re: ウェディングドレスの妻  ボルボ男爵 :2025/12/05 (金) 13:31 ID:pbR1Aqec No.32472
よかった・・まだ奥様のままでしたね。

でも 奥様のたたずむ静謐かつ妖艶な空間と時間が今後の予想だにしない運命のどんでん返しへの
カウントダウン開始まえの前奏に思えます。

毎日楽しみにしております。


[32] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/12/05 (金) 18:00 ID:6idkrYnY No.32474
きーくんさま、ボルボ男爵さま  コメントをありがとうございました!



それでも幸代は私の存在が よほど嬉しかったのか、それとも どこか安心した気持ちになったのか、深紅の唇をゆっくりと綻ばせ、

「ねぇ、トオサン……」

「どした?」

純白のドレス姿の幸代に、どうもまだ調子のつかめない私だったが、なんとか柔らかく応えた。

「もしかしてさ…… ……」

口籠るというよりも、わざと口を止めた感じの幸代。

「なに? どうした? なに?」

「…… トオサン 今、わたしを見て 照れてるでしょ?」

幸代は 悪戯っぽく、けれど私を試すような鋭い視線で聞いてきた。

「あはは 何、言ってるんだ〜」 ドキッとした。
「そんなわけないだろ……」 とにかく声だけは繕った。

私は咄嗟に否定したが、自分の顔が熱くなるのがわかった。
目の前にいるのは30年連れ添った妻なのに、その完成された美しさに気圧され、まるで初恋相手と二人きりにされたような、不器用な自分を晒してしまう。

しかしアイメイクで武装した 幸代の鋭い眼差しは、狼狽える私の目を捉えて離さなかった。

「うそぉ〜 なぁーんだ、つまんない」

幸代は軽く肩をすくめて、もう一度 重厚なトレーンを持ち上げながら、あと半歩だけ私の方へ歩み寄った。
コツッとハイヒールの小さな音が控室の静けさに溶け、柔らかな空気を感じるとともに、ドレスからの漂う魅惑的な香りとともに私のパーソナルスペースを強引にこじ開けた。

窓から差し込む光が、ウェディングドレスの白さと妖艶な彼女の顔を優しく照らした。

「もぉ! ちゃんとしっかり見てよね!」

茶目っ気たっぷりのその言葉は 軽い悪戯心を含んでいるけれど、柔和で優しく可愛らしい いつものカアサンの表情が、妖艶なブライダルメイクの下に透けて見ることができた。

「カアサン、ムリして…… そんなに近づいて…… 大丈夫か?」
「そうでなくても、背が並んだし、シワやシミがよく見えるぞ?」なんとか私も返す。

「あはっ 本当は恥ずかしいくせに〜 トオサン ホント、素直じゃないんだからー」と幸代。

これまで散々 シニア婚やドレスのことを、冷やかし からかっていた私のことを、幸代は ここぞとばかり容赦なく反撃に出ていた。

もちろん冗談を言い合い、ジャレ合っているのは わかっている。
こんな微笑ましい子供じみた会話も 分かり合える夫婦ならではの暗黙の了解として、私たちは このひとときを楽しむ余裕さえ感じ始めていた。

緊張で固まっていた空気はすっかり解け、久しぶりに二人だけの “いつもの夫婦の距離” に戻ったことが実感できたのだ。

(やっぱり、ここに来てよかった!) 私は心から思っていた。

と…… 控室の扉が、静かに まるで空気を切るように開いた。

「新婦さま、お時間になりましたので スタジオにご案内いたします」

イベント企画会社のチーフマネージャー 村川さんが、ひとつ会釈をして入ってきた。

彼女の声は柔らかくも無機質で、まるで静かな刃のように響いた。
私はそれまで部屋を包んでいた “2人きりで夫婦の存在を確認できる濃密なひととき”が、音もなく裂かれていくのを感じた。

村川さんと一緒に入ってきた もうひとりの女性スタッフが「新婦さまのは こちらになります」と丁寧に両手で包むようにして、小さな白いジュエリーケースを幸代に手渡した。

「あ…… はい…… ありがとうございます……」

どこか寂しそうな表情に変わった幸代は 静かにそう返して、ウェディンググローブに包まれた両手で大事そうに、そのケースを受け取った。

そして幸代がゆっくりと私に振り向くと、光沢のある純白のグローブをしたままの左手を私に翳し 申し訳なさそうな表情をして口を開いた。

「トオサン、ごめん…… あのね…… ……んー」言い出しにくそうに口籠る幸代。

「ん? なに? どうした?」私は努めて明るく彼女に応えた。

「ごめんなさい…… 今ね…… わたし…… 指輪をね…… ……」

「指輪? 指輪がどうかしたの?」 私は反射的に聞き返す。

「うん、ずっと嵌めていた わたしたちの結婚指輪…… 今、外しちゃってるの…… 」
「ここでは 式用のリングを使うように、って言われてて…… だから外さないといけなくて…… ごめんなさい」

そう言って幸代は、スタッフから渡されたジュエリーケースをそっと開いた。
中には、外枠がゴールドの光沢のある厚めのプラチナリングが収まっていた。

まだ誰の指にも馴染んでいない“工業製品”のような、冷たく無機質な輝きを放ち、私たちが30年かけて、傷をつけ、曇らせ、お互いの指の形に変えてきた“本物”の指輪とは、あまりにもかけ離れた“偽物”の美しさ……
眩しすぎるほどの 演出用の新品が、無言でその順番を待っていた。

「へぇ〜 そっか。 すごいな! けっこう本格的な式なんだな〜」
「でも、こっちの方が綺麗だし、新品だし…… いいじゃん…… 高そうだし、あはは」

私は、できるだけ軽く言葉を返した、返すしかなかった。
それは、明らかな強がりだった、笑顔で塗り潰すしかなかったのだ。
同時に、彼女の指から私の存在が消え 誰のものでもない指輪がそこに収まろうとしている事実に、内臓を素手で掴まれるような嫌な痛みが走った。

幸代はふっと短く息をつき、その新しい指輪に視線を落としたまま、ぽつりとつぶやいた。

「……わたし こんなの使いたくない…… 返したいよ、ダメかな?」

それは、ほとんど音にもならない声だった。

そして幸代の艶やかな深紅の唇が、わずかに震えながら もう一度動いた。

「トオサン…… やっぱり わたし、行きたくないよ…… ……もう 帰りたい……」

妖艶なメイクをした幸代が、今度は私を見て言ったのだ。
上品で美しく華やかに そして強く仕上がった彼女には似合わない震えた声だった。

私は息を飲んだ。 喉の奥に、何か熱いものがせり上がってくる。

(うん、行かなくていい) すぐにそう言いたかった。 

いや、言わないといけない……

……でも、言えなかった……

これまで幸代に対して、たかがイベントだからと、余裕ある顔を見せたい という見栄なのか、
スタッフがいる中で、惨めな男とか弱いとか情けないと言われたくない、と世間体を気にしていたのか、
理解のある夫、心の広い夫だ、と 幸代にもスタッフにも思われたかったのか、
とにかくちっぽけなプライドのために私は素直になれなかったのだ。

素直になれない性格とわかっているのに、それがこの場で改善できない私自身が嫌になるくらいだった。


[33] Re: ウェディングドレスの妻  きーくん :2025/12/10 (水) 10:39 ID:OufAq85k No.32475
佐山さん

今まで普通にそばにいた妻なのに、
自分が贈った結婚指輪を外し、別の結婚指輪をするようになってしまう・・・。
儀式と分かっていても、離れていってしまう気になりそうですが、
女々しく思われたくない、ちっぽけな自分と重ねてしまっています。

続きを期待します。


[34] Re: ウェディングドレスの妻  ボルボ男爵 :2025/12/11 (木) 17:42 ID:7zs7Le7M No.32476
佐山様

「行かなくていい」、その一言を飲み込んでしまったことを、後に大いに後悔することになってしまうのでしょうか。

大きな口を開けてご夫婦を飲み込もうとしている陥穽が待ち受けているのですね。

スタジオでいよいよ事は大きく動くのでしょうか?奥様は打ち合わせの段階で何かを言い含められていたのですかね。

一歩踏みだせないのはそのためなのか・・・・いろいろ想像してしまいます。


[35] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2025/12/12 (金) 23:38 ID:N6G6XxSU No.32477
きーくんさま、ボルボ男爵さま  コメントをありがとうございました!



目元がブライダルメイクで艶やかに彩られた幸代はもう一度、まっすぐに私の顔を見た。
その瞳には、怖れとためらいが入り混じった色が揺れていた。

「ねぇ、トオサン…… もし私が、ここで逃げ出したら…… どうなるの?」

冗談めかした幸代の口調だったが、声は震え 笑みはひどく不自然だった。

私は、苦笑いすらできなかった。
冗談として受け流すには、重すぎる言葉だったから。

(……じゃあ、オレも一緒に逃げるよ)…… 

本当はそう言いたかった。 でも、その言葉も、結局は喉の奥で凍りついた。

代わりに、口からこぼれたのは自嘲のような一言だった。

「ごっこ なんだ って思えば大丈夫。 だって撮影だろ? イベントなんだから」
「終わったら、子どもたちにも自慢できるんだし…… な?」

虚しい言葉だった。
子どもまでをネタに出したのは卑怯な気もした。
だけど、それが今の自分にできる、せめてもの “逃げ道” だったのだ。

幸代は、ふっと深紅に塗られた唇だけで笑った。
その笑みが、少しだけ私の胸の痛みを和らげた。

だから、私は続けた。

「かわいいお嫁さんになりきって、今からもっと幸せになるんだって 思えば大丈夫」

かわいいとは言えない、言っては失礼なくらいまでに、ブライダルメイクで圧倒的に綺麗に いや妖艶に変身した幸代に、そう言った瞬間……
私はふたたび胸の奥が、きゅうっ と締めつけられた。

(行かせたくない……)

幸代の目に、涙がたまりはじめていた。
瞬きを繰り返しながら、やっとの思いで顔を上げる。

「うん、そうだよね…… うん…… でも、私……やっぱり……」

その声は、彼女の白い鎧をすこしだけ脱がせるような、素直な告白だった。

「大丈夫、カアサン。 すごく綺麗な50代のオバサンだし」
「オレも、ちゃんと招待客として、めっちゃ大きな拍手をしてあげるから。 あはは!」

笑ったつもりだった。 でも、自分の頬が引きつっているのが、はっきりわかった。
拍手という行為は祝福であると同時に、彼女をあちら側の世界へ 今岡という新郎のもとへ と送り出すための、残酷な合図でもある。
それでも、言葉にして幸代の背中を押さなければ、本当に彼女が崩れてしまいそうだったから。

少し離れたところで別のスタッフと打ち合わせをしていた村川さんが再び私たちに向かって口を開いた。

「新婦さまー すみませんが、もう お時間いっぱいなので」
「新郎さまもお待ちです、スタッフも準備が整っていますので お願いします」

その言葉に、幸代は小さく息を呑んだ。
目に溜まった涙をこらえるようにして、震える声でつぶやいた。

「……ありがとう、トオサン……」
「わたし…… …… 行ってきます」

俯いたままのその言葉に、これまでの恐れと それを超える覚悟が、確かに混ざっていた。

私は、それを明るく受け止めたかった。

「うん、行ってこい カアサン。 お幸せに〜! …… あはは!」

ほんの少しだけ、彼女の頬が緩んだ。

「……うん、じゃあ……」

小さな声で そう言ったあと、幸代は静かに私に頭を下げて スタッフの方へと向き直った。

「すみません…… おねがいします」

幸代は白く重厚なドレスの裾をそっと持ち上げ、真っすぐ歩き出した。
彼女の歩みは、まるで一つの人生を終えて、別の新しい場所へ向かう出発の足音のように、静かで 確かだった。

無表情のスタッフたちが波打つトレーンを整えながら まるで女王の警護のように 頭を下げたまま幸代に従う。
幸代が歩みを進めるたびに ゴージャスで優美な純白のウェディングドレスが彼女に馴染んでいき、やがて堂々とした強いオーラを放ちながら、別室へと消えていった。

余韻の覚めやらない控室に残る私は、ひとり立ち尽くしたまま、しばらくは彼女の残像を追っていた。

(本当にこれで良かったのか?)
(どうして、素直になる勇気が持てなかったのだろう……)

心の奥に、どうしようもない葛藤、いや大きな後悔が渦巻いていた。

私は深く息を吐き、彼女の残り香がまだ微かに漂う控室を後にして、式のために用意された 私の“指定席”となっているエキストラ席へ向かった。


[36] Re: ウェディングドレスの妻  ボルボ男爵 :2025/12/13 (土) 12:18 ID:Ig1sF4AY No.32478
首を長くしてお待ちしておりました。

自分で勝手に先読みをしてあーだこーだと書き連ねたいことが山ほどあるのですが、偶然にも
ネタバレヒットしてしまうとマズいので我慢我慢・・・・

スタジオに入ってしまうと、そこでのことは想像と妄想の世界にしかなりませんね。

次奥様に出会えるのは「新郎、新婦のご入場です」、のアナウンス後ということになるのでしょうか。

ワクワクが止まりません。


[37] Re: ウェディングドレスの妻  きーくん :2025/12/17 (水) 11:29 ID:PGyfhHPA No.32479
佐山さん

「行くな」と言えないもどかしさと去り行く妻の強いオーラを感じ、
妻が妻でなくなり、別の女の姿を見せるのでしょうか。
はっきり言えないその姿に、自分をダブらせてしまいます。

今後の展開に期待します。


[38] Re: ウェディングドレスの妻  赤嶺 :2026/01/01 (木) 20:53 ID:90UMqYwc No.32518

お年玉?・・お待ちしております(笑)


[39] Re: ウェディングドレスの妻  佐山 :2026/01/03 (土) 14:46 ID:O9vCgp6. No.32527
ボルボ男爵さま きーくんさま 赤嶺さま  
コメントをありがとうございました。本年もよろしくお願い申し上げます。
すでに投稿した内容も修正していますので、お読みいただければさいわいでございます。



正直、どこをどのようにして歩いていたのか、どんな表情をして歩いていたのかわからない。 とにかく私は自分が指定されている席に戻った。

すでにほかの招待客役として集められたエキストラたちが席を埋めていて、チャペル内はざわついていた。

席に着いてようやく周りの様子が見渡せられるくらいに呼吸も整ってきた私だったが、幸代のドレス姿は、まだ脳裏に焼きついたままだった。
そして「行きたくない」と言った彼女の声が、まだ耳の奥のどこか遠くで繰り返されている。

(幸代のドレス姿を オレは見たいのか? 見たくないのか?)

心の中の声が 内側でぎしぎしと軋んでいた。
ふと気がつくと、チャペルの中は 決して耳障りにはならないクラッシックのBGMがはっきりと耳に届くようになってきた。
先ほどまで控えめに笑い声を交わしていた満席のエキストラたちも、荘厳なチャペルの雰囲気に合わせてか、次第に声を潜め、囁くようにトーンを落としていった。

時間がじわりと縮こまるように、場の空気が凍りついていく。

そこに企画会社の撮影班と思われる若い男性スタッフ一人が、私たち招待客役に向けて何やら説明を始めた。
私の席は後方端っこなので、その声はどこか遠く、薄い膜越しに聞こえているようだった。

内容は演出の説明だ。 

しかし、私にはそれが現実そのものを上書きしてしまう“宣告”のように感じられた。

「本来、教会での一般的な結婚式ですと ヴァージン・ロードを新婦が父親と登場して歩きますよね。 ですが、今日 皆さんが出席してもらっているのは、“再誓式” という設定です」
「あらためて人生を共に歩み始める新郎新婦が “ヴァージン・ロード” ではなく “エターナル・ロード” を二人で歩き祭壇へと進みます。 どうか皆さん温かな拍手でお迎えくださいね」

赤く輝くヴァージン・ロードではない、深みのある藍色の絨毯、それが“エターナル・ロード”。
人生の再出発を意味する、二人だけの静かで凛とした誓いの道…… と、いうことだ。

(これは、ただの始まりじゃない。 終わりなき歩みが続く道か? オレは逃げてはいけない…… 幸代の姿をしっかりと見ないといけない……)

「皆さんの笑顔が大事ですよ! 開式まで残りわずかですが、笑顔の練習をしておいてくださいね! ただし、バカ笑いはダメですからね!」

これには席々から笑い声が漏れていた。

私もそんな雰囲気に引き込まれそうになりながら、一気に頭の中が柔らかくなった気がして、

(そうだよ、これは撮影なんだ、挙式ごっこなんだ。 ただの企業PRのための中年の結婚イベントだろ?)

何度繰り返して自分に言い聞かせても、胸の奥はその理屈を拒絶し、激しく波立っていた。

「これから皆さんにハガキサイズのカードを配ります」
「おひとり一枚とって隣の人に回してください…… 二枚取らないようにしてくださいね! もちろん三枚もダメですからね〜」
「ぜひ これを見て、新しい門出への祝福の気持ちを高めてくださいね!」

軽いトーンでオドケながら笑いを取るスタッフが張りつめていた空気を和ませ続けた。

「では、お配りします。 これ、今 仕上がったばかりのホヤホヤでーす。 とても素敵ですが、あとで回収しますので、記念に持って帰らないようにしてくださいね」

相変わらずのスタッフの軽口に、絶えずクスクスと笑い声も聞こえた。
きっと いつも、撮影を待っている素人エキストラに対しては、このようにして緊張を和らげているのだろう。

やがて、私の手元にも そのカードが回ってきた。

(おい、冗談だろ?)


[40] Re: ウェディングドレスの妻  きーくん :2026/01/04 (日) 14:05 ID:2nPWdf/M No.32535
佐山さん
本年も投稿にワクワク・ドキドキです。

これは企画会社のイベントであると頭では分かっていても、
見慣れた妻が、まるで違うウェディングドレス姿に身を纏い、
しかも、妖艶で強いオーラを発しながら相手側へと行って
しまう。自分から離れて行ってしまう危機感が迫ります。
その上、そんなに驚くカードはどうなっているんでしょうね。

続きを期待します。


[41] Re: ウェディングドレスの妻  ボルボ男爵 :2026/01/07 (水) 13:10 ID:hKIVZvco No.32538
佐山様

明けましておめでとうございます。

いよいよ歯車が狂いだしたようですね。
久しく忘れていた、それとも改めて気づかされた妻の美しさに心を奪われた
その瞬間、奥様は手の届かぬ所へ行ってしまうのでしょうか。

待っております。



掲示板に戻る /戻る /全部読む /最新10 /削除依頼 /▲トップ
処理 記事No パスワード


お名前 *必須 *トリップ可
E-Mail
タイトル
コメント
パスワード (投稿文の削除や修正時に使用します。英数字で8文字以内)
文字色
  

・投稿前に、必ずTOPページの「初めに読んでね」をご覧いただき、全ての内容をご了承の上で投稿してください。
・氏名、住所、電話番号、勤務先等プライバシーが侵害されるような内容を含む記事等の投稿は厳禁です。(即時削除)
・日本の法律に違反するような投稿は厳禁です。(即時削除)
・他人を誹謗中傷する投稿は厳禁です。(即時削除)
・誹謗中傷には大人の良識に反するような「汚い言葉」等も当然含まれます。
・規約違反や違法な投稿を発見した場合に、レス投稿で攻撃することは厳禁です。(即時削除)
・規約違反や違法な投稿を発見した場合は、管理人宛に削除依頼等でご連絡ください。
・この掲示板は体験談や小説、エロエロ話等を楽しんでいただくための掲示板ですので、募集を目的とした投稿は厳禁です。(即時削除)
・投稿文冒頭から「メールをください」等の記載がある等、明らかに募集目的のみと思われる投稿も厳禁です。(即時削除)
・ただし、レスの流れの中でメールのやり取りをするのは全く問題ありません。
・ご夫婦、カップルの方に限り、交際BBSと組み合わせてご利用いただく場合は、全く問題ありませんのでドンドンご利用ください。
・なお、交際専用BBSにスレッドを作成できるのはご夫婦、カップルの方のみですのでご注意ください。
・お手数ですが、交際専用BBSと画像掲示板とを組み合わせてご利用いただく場合は、必ずその旨を明記してください。
 【例】「交際BBS(東・西)で募集している〇〇です」、または「募集板(東・西)の No.****** で募集している〇〇です」など。
・上記のような一文を入れていただきますと、管理人が間違ってスレッドを削除してしまうことが無くなります。
・万一、上記内容に違反するような投稿をされた場合は、妻と勃起した男達の各コーナーのご利用を制限させて頂きますでご注意ください。
・当サイトは安全で安心できる楽しい「大人のエロサイト」です。腹を立てるのではなく、楽しくチ●ポを勃ててくださいネ!