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新スレ妻の転職

[1] スレッドオーナー: 八尾 :2026/08/11 (火) 20:41 ID:OnlBOyrY No.33067
1.

私、八尾和徳、五十七歳。
どこにでもいるようなサラリーマンであり、自分で言うのも変だが、典型的なオッサンだと思う。

勤務先は中堅の電子機器メーカーの国内営業部で、一応は東日本地区の法人開拓チーム長という肩書がある。とはいえ、年収六百五十万ほどの平穏なポジションだ。
同期や後輩が順調に出世していくのを横目に、すでにレースからは外れた身として、マイペースに日々をこなしている。

我が家の一人息子もすでに独立して県外で暮らしており、今は三つ下の妻・由希子と二人きりだ。自分でも少々照れ臭いが、私はかなりの愛妻家だと思う。

ただ、その「愛しさ」と「男としての自信」は、ここ最近うまく噛み合っていない。

気がつけばセックスレスになって約十年ほどが過ぎていたが、最近になって急に EDの兆候が現れ始めたのだ。
愛する妻を目の前にしながら、情けなく萎えていく己の肉体。不甲斐なさと焦燥感が、ふとした瞬間に胸の奥を重く押し潰す。

そんな私は、夕食を終え、風呂も済ませ、パジャマ姿でリビングのソファに腰を下ろしてテレビ画面に釘付けになっていた。

六月に入り、プロ野球はセ・パ交流戦の時期を迎えていたのだ。

この時期になると、普段は対戦することのないセ・リーグとパ・リーグのチームが顔を合わせるので、私はレギュラーシーズン以上にテレビ中継が気になってしまう。

今夜もそうだった。

別に熱狂的なファンというほどではないのだが、昔から応援している贔屓チームがある。勝てばもちろん嬉しいし、負ければ翌朝まで少し気分が悪い。

贔屓チームは交流戦で、目下三連勝中。
そして今夜の相手はパ・リーグの強豪だった。
否が応でも私は期待をするしかなかった。

ところが贔屓チームの今夜の試合は、1点差のビハインド。
何度か巡ってきた得点チャンスを、ことごとく逃してしているのだ。7回裏もそうだった。

「あぁ〜、なんだよ! またダメかぁ〜。今日も負けだな」

缶ビール(発泡酒)片手に、ため息とともに思わず声が出た。

選手に文句を言っているわけではない。五十七歳にもなって、テレビの前で野球に腹を立てても仕方がないことくらい、私だってわかっている。

それでも、長年応援しているチームの試合となると、つい感情が入ってしまう。

そして、まるで私のガッカリした気持ちをあざ笑うかのように、画面はCMに切り替わった。

私はふっと背後を振り返った。

夕食後の食器を洗い終えた妻の由希子が、ダイニングの椅子に座っていた。

年齢は私より三つ下の五十四歳。

私たちは結婚して二十七年になる。

由希子は昔から家事をきちんとこなす女だった。特別几帳面というわけではないが、やるべきことはきちんとやる。仕事もそうだし、家のこともそうだ。

その由希子が、今夜は少し変だった。

ダイニングテーブルの上に置いたスマートフォンを両手で持ち、画面をじっと見つめている。

いつものようにテレビを眺めながら、私と適当に会話をしている様子ではない。
それどころか、眉間にほんの少し皺を寄せ、真剣な表情で画面を追っていた。

私はCMが終わるのを待って、再びテレビに向き直った。

やがて野球中継が再開される。

私は再び試合に集中しようとした。

しかし……
どういうわけか、視線の端に映る由希子の姿が気になった。

(そういえば……)

ここ一週間くらいだろうか。
いや、十日ほど前からだったか。
いや、もしかすると、もっと前からかもしれない。

由希子がスマホを見る時間が、妙に増えている気がする。
もっとも、私が見えている範囲だが。

朝、出勤前に私が身支度を整えている時。
休日の昼間、家事が一段落したとき。
夕方、私が会社から帰ってきたあと。
そして今のような、夕食後の団欒の時間にも。

もちろん、スマホを見ること自体は珍しいことではない。

私だってニュースを見たり、天気予報を確認したりする。
YOUTUBEだって、贔屓チームの応援サイトだって覗くこともある。

だから、それまでは特に気にも留めていなかった。

ただ……

最近の由希子は、何かを楽しんでいるというより、何かを探しているように見える。

(何かあるのかな?)

そう思ったときには、もう私は口にしていた。試合はそっちのけで。

「なぁ、最近スマホばっかり見てない? 何か面白いサイトでも見つけた?」

由希子は顔を上げなかった。

「うーん…… 別に面白くはないよ」

そう言ってから、彼女は少し間を置いた。


[2] Re: 妻の転職  八尾 :2026/08/16 (日) 12:27 ID:3026V4dM No.33087
2.

「だって転職サイトだもん」

由希子はあっさりと、いや投げやりに近いトーンで返してきた。

「……転職?」

私は思わず聞き返えすと、由希子はそこで初めてスマホから顔を上げた。

「うん。今、行ってるところ、ちょっと疲れてきたというか…… 嫌になってきてるから」

「何? トラブル?」

「うん、まぁ……」

由希子はそう言って、少しだけ困ったような顔をした。

由希子は身長一五六センチ、体型は昔から変わらずどちらかと言えば小柄だ。
若い頃から派手な装いは好まず、今日もボブヘアにノーメイクに近い顔、上はシンプルな綿シャツに、下は定番のネイビー色のパンツという無難なスタイルだ。
特別な美人というわけではないが、愛嬌のある笑顔と真面目な人柄で、誰からも好かれる可愛らしさがある。だが、根が真面目で少し人見知りな分、他人の感情に敏感すぎるのが玉にキズだった。

そんな彼女が、綿シャツの上から自分の腕を抱え込むようにして小さく肩をすぼめている。

「……どこにでもある、女特有の世界ってやつ……かな」

そして、ようやくスマホをテーブルの上に置いた。
私はテレビの音を少しだけ絞った。

「女特有の?」

「うん…… 人間関係……」

由希子は小さく息を吐いた。
その表情には、怒りとか悲しみといった、はっきりした感情は見えなかった。
むしろ少し疲れたような、諦めたような顔だった。

聞けば、今の勤務先である食品加工工場で、惣菜やお弁当のパック詰めをしているパート仲間は、ほとんどが主婦だという。

そして年齢もかなりの幅がある。

六十代を中心とした、いわゆるベテランのおばさんたち。
そして三十代から四十代を中心とした、いわゆるヤングママ世代。

どうやら、その二つのグループの間に、以前から何となく対立するような空気があったらしい。
もちろん、誰も面と向かって「私たちは対立しています」などと言うわけではない。
しかし、休憩時間に誰と一緒にいるか、誰の話に同調するか、誰が誰の悪口を言っているか、そういう細かなことが積み重なって、いつの間にか二つのグループに分かれてしまっているらしい。

そして、その間にいたのが由希子だった。
由希子自身は、どちらにも加担するつもりはなかった。

それが、かえってよくなかったらしい。
片方から愚痴を聞かされれば、もう片方からも愚痴を聞かされる。

「八尾さんはどう思う?」
「誰々さんって、わがままよね、そう思わない?」

そんなことを聞かれ、適当に相槌を打っているうちに、今度はそれぞれのグループから、まるで自分たちの側に来てほしいと言わんばかりの“オファー”まで受けるようになった。

最近では、それがますます激しくなってきたという。

「中立のつもり、というか、距離は取っていたつもりなんだけどね」

由希子は苦笑した。

「いつの間にか、両方から裏切り者みたいに思われてるのかもしれなくて」

「へぇ……」

「女の世界って、ほんと厄介。嫌になっちゃうよ」

由希子はそう言って、また小さく息を吐いた。

それから、ぽつりぽつりと話し始めた。

具体的な出来事、誰と誰が揉めたのか、どんなことを言われたのか、誰が誰に腹を立てているのか、などなど。

「八尾さんは わたしたちの側でしょ?」とか「こっちに付かないの?」

などとも、言われているらしい。

「それでね……」と由希子は続ける。

もちろん私は、話に出てくる女性たちの顔も知らないし、職場の雰囲気も知らない。
だが なんとなく、由希子の話を聞いているうちに、頭の中に少しずつ相関図のようなものが出来上がっていく。

その夜、由希子は珍しく饒舌だった。
普段の彼女は、家のことでも仕事のことでも、あまり愚痴をこぼさない。
何かあっても、自分の中で適当に処理してしまうところがある。
だから、こんなふうに由希子が次から次へと職場の話をするのは、私には少し珍しいことだった。

「もういい年なんだから、もう少しみんな丸くなるのかと思ってたんだけどなぁ」

疲れたトーンで由希子が言った。

「まぁ、俺らも 丸くなったようで頑固になってるのかもよ」

私は冗談半分に言った。

「……かもね」

由希子は一瞬考えるような顔をして、それから苦笑した。

「あーあ。早く辞めたい! だから新しいところ、見つけないとね〜」

そう言って、由希子はスマートフォンを手に取った。
そして再び画面を見つめ始めた。

「まぁ、ゆっくり探せばいいよ」

私は、とりあえずそう答えた。

由希子がパートを辞めること自体、私にはそれほど大きな問題には思えなかった。
とりあえず生活に困るわけではないのは確かだ。

由希子の年収は八十万程度、パート収入がなくなったところで、明日から家計が立ち行かなくなるわけでもないし、一人息子の泰介(二十六歳)も既に独立して手は離れている。
二人の生活を維持するためだけに、妻が職場の人間関係で心をすり減らす必要などどこにもないのだ。

もちろん、我が家が無制限に裕福というわけではない。
そろそろリビングのテレビも一回り大きいものに買い替えたいし、秋に控えた愛用の軽自動車の車検に合わせて、同じ軽自動車ではあるが今度はハイトなワゴンスタイルの新車に代替するのもいいな、などと密かに画策していた。さらに この夏こそは、夫婦で泊りで温泉旅行にでも行きたい というささやかな希望もある。

だがそれらも、夫婦二人で無理のない範囲で暮らしていけば叶わない話ではない。
彼女のパート代は、そうした「ちょっとした楽しみ」の足しになれば十分なのだ。

むしろ私的には、愛しい妻に、できれば家で好きなガーデニングや 学生の時に頑張って、今も気が向いた時にしている書道でもしながら、穏やかに笑っていてほしい……
愛妻家を自負する私としては、本気でそう思っていた。

「ゆっくり…… そうだよね……」

由希子は小さく頷いた。
そして、またスマートフォンの画面に視線を落とした。

私は野球中継に目を戻した。
テレビでは、最終回までイニングが進み、その回の先頭打者が打席に入ったところだった。

私は試合の行方を追いながら、ふと思い返していた。
要するに、由希子が転職する…… ただ、それだけの話だ。

そのときの私は、本当にその程度にしか考えていなかった。


[3] Re: 妻の転職  ファンファン :2026/08/17 (月) 10:33 ID:tWCQvmoc No.33089
文章の上手さと相まって、先の展開が全く読めずドキドキしてきました。五十路半ばの夫婦に何が起こるのか楽しみにしています。


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