密やかに咲く

[19] 知らぬが仏 其の三  最後のティッシュ :2020/07/27 (月) 23:23 ID:E1W83b9w No.27636
「失礼します」
「よく来てくれました どうぞ、お掛け下さい」
「はい」
「どうですか、この部屋から見える夜景は素晴らしいでしょう」
「ええ、本当に綺麗ですね」
「夜景は後で楽しみましょう話しを変えます 電話でお話しした事です あなたのご主人にとって良い話ではありませんが」
「はい、覚悟はできています」
「奥さん、私はご主人の事を高く評価している いや、私だけではありませんが」
「ありがとうございます」
「しかし、会社組織というのは複雑でして大きくなればなるほど能力よりも後ろ盾がモノをいうようになるのです 残念ですが」
「・・・はい」
「こんな事は社員でもない奥さんに話したところで、私の会社組織に対する愚痴としか聞こえないでしょう」
「いえ、そんな事は 主人に係わる事ですから」
「まだ新人だったご主人に仕事を教えた私の色目を差し引いても次の部長はご主人だと思っていました」
「ありがとうございます そう言っていただけると」
「いや、部長に留まるような男ではない ゆくゆくは私と同じ経営側に立つ人物だと思ってます」
「そこまで言って頂けるなんて」
「しかし、いま社内で良くない動きがありまして 別の人物を立てようという者が現れたのです」
「そうですか・・・」
「自分の手駒を増やそうという浅墓な考えで会社に不利益をもたらそうとは 残念な事です」
「ええ・・・」
「そして、この競争に負けた者の将来は惨めなものです」
「え?それはどういう意味ですか?」
「電話でお話しした通り、この先ご主人の出世の道は閉ざされてしまう」
「そう・・・なんですか・・・」
「身を粉にして功績を重ねたとしても評価される事はない それどころか、その機会さえも・・・」
「そんな・・・そんな事が許されるんですか?」
「はい、そんな不遇に耐えかねて去って行った者を何人も見てきました」
「そうですか・・・」
「そして相手の後ろ盾となっているのは中々の人物でして・・・」
「はい・・・」
「このままではご主人は・・・」
「はい・・・」
「はっはっは」
「え?あの・・・」
「ご安心を、それは私が今のまま静観していた場合です」
「それでは主人の事を」
「申し訳ない、少々脅してしまったようですね」
「あ、いえ」
「血気盛んな頃は会社の為にと共に奔走したカワイイ部下です いや、そういう心情的な事は捨てなければならない立場ですが今回だけは」
「では・・・それでは・・・」
「はい、私も動いてみましょう」
「お願いします、主人の事お願いします」
「頭を上げてください まだ始まってません、これからです」
「はい 宜しくお願いします」
「奥さん、お酒の方は?」
「え?お酒・・・ですか?」
「嫌な話をお聞かせしてしまった、気持ちが疲れたのでは?」
「あ・・・いえ・・・ 大丈夫です」
「どうぞ、遠慮なさらずに 何か口にすれば落ち着きますよ」
「ありがとうございます、それではいただきます」
「どうですか、落ち着かれましたか?」
「ええ、少し」
「さて、もう一つお話ししてもいいですか?」
「はい」
「先程の話しの続きです」
「はい」
「その話だけなら電話で済む話ですが、奥さんに来て頂いたのには理由があります」
「はい、それはどういった・・・」
「これから私は何人も説得して回らねばなりません」
「はい、ご苦労お掛けします お願いします」
「ただ・・・こういう類いの争いを好まない者も多いわけでして」
「はい・・・」
「一筋縄ではいかない者もいます、逆に機嫌を損ねる者も出てくるでしょう」
「そうですか・・・」
「そこで奥さん、協力いただけないでしょうか」
「え?私が?」
「はい、そうです」
「でも・・・ 私は・・・」
「ご主人の事を案じておられますよね」
「はい、もちろん」
「あなたは充分にご主人を支えてこられた ご主人の働きぶりを見ていた私には分かります」
「いえ、それほどでも 妻として出来る事をしていただけです」
「記憶違いでなければ25年ですか、妻として時には母として家庭を背負いご主人を会社に送り出してこられた」
「そのような大層な事では・・・」
「その積み重ねた物を守る為 ここでひと働きして頂きたい」
「でも、私に出来る事なんて・・・ 何のお役にたてるでしょうか・・・」
「あります、覚悟さえ決めれば奥さんにしかできない事があるのです」
「それは一体・・・」
「覚悟を決める事ができますか?ご主人の為なら何でもするという覚悟を」
「それは・・・ 私は何を・・・」
「先ずは覚悟です ご主人の将来の為、奥さんが積み上げた25年の為、これからのお二人の為 何でもするという覚悟です」
「でも・・・何を・・・」
「ご主人が退職届を書く事になるかもしれないのですよ それでもいいのですか?」
「いえ そんな事は」
「思い返してください、ご主人を支え続けた日々を 無駄にしたくはないでしょう」
「ええ・・・」
「この先どうなるかは今からの行動次第です」
「はい」
「言葉でいうほど簡単な事ではないのです お分かりですか」
「はい」
「何でもするという覚悟を決めれますか?」
「あの・・・その何でもというのは何を・・・」
「分かりませんか あなたは「はい」と言うだけでいいんですよ」
「でも・・・」
「ご主人、ひいては奥さんのこの先の事は私次第と言ってるのですよ」
「え・・・」
「その私が奥さんに協力してくれと頼んでるのですよ」
「はい・・・」
「分かってますか?」
「はい、承知してます・・・」
「それなら頼みごとを聞いてくれますか?」
「はい・・・」
「協力してくれるんですね?」
「はい・・・」
「少々厄介な頼みごとをします 大丈夫ですか?」
「その頼み・・・あ はい・・・」
「そう心配なさらずに 難しいことではありません、接待のようなものです 私が指南しましょう」
「それはどういう・・・」
「大したことではありません 例えば・・・嫌いな男にお酌する様なもので少し我慢すればいいだけですから 要は慣れです」
「はい」
「大丈夫、奥さんが慣れるまで何度でも付き合いますから 慣れてしまえば大した事はありません一度に二人でも三人でも相手できるようになりますよ」
「はい、宜しくお願いします」
「それではさっそく始めましょう では、こちらへ」

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「奥さん 泣きたい気持ちは分かりますが、そろそろ帰り支度されてはどうですか ご主人が心配しますよ」
「はい・・・ うう・・・」
「次は土曜です 奥さんが慣れるまで付き合いますから、一緒に頑張りましょう ご主人の為です」
「はい・・・ お願いします・・・」







「あなた」
「ん?どうした」
「今日から部長さんね」
「ああ、これからだな いってくる」
「いってらっしゃい」