掲示板に戻る / 戻る
過去ログ[4]

過去ログ:
ワード検索: 条件: 表示:
※探している投稿記事が見つからない場合は「過去ログ」のページを変更して再度検索してみてください
検索結果:1


[3503] 3年前、それから 忠太郎 投稿日:2008/03/19 (水) 15:16
3年前、それから……

〔妻、裕子〕
3年前、妻、裕子が29歳の時だった。当時、上の娘が5歳で下の娘が3歳だった。
結婚した時裕子は処女だった。正確に言うと結婚する1年前までは、処女だった。勿論、私が戴いた。
とにかく、いわゆる“マグロ”で、何にも知らないという、今時には貴重な女だった。
そんな裕子だったが24歳で結婚してからは、そのマグロを毎晩のように抱いた。程よいボリュームの美乳と、引き締まったウエストから存在感十分に張り出した桃尻、むっちりした太ももと美脚、本当にそそる体をしていた、が、あそこを舐めようとすると
「いやだ、汚いから……」
という。バックから挿れようとすると、
「やだ、動物みたい」
と、こんな始末であった。色気も何もあったものではない、ぶち壊しで白ける時もあった。

そんな裕子だったが、長女が生れてから変わってきた。妻に言わせると
「子どもを産んだら恐いものがなくなる」
といった。その理由は、産婦人科で股を広げて、あそこを曝け出したら、もうどうにでもなれという心境になったというのだ。
その頃、友人の田中に、
「奥さん、どう、子ども生んでから。子ども生んでからのほうがあそこの締りがよくなるよ……」
といわれ、そんなものかと気に掛けていたが、本当にその通りになった。
明らかに変わってきたのは、セックスに積極的になってきたことだった。それまではどちらかというと、妻としての義務感から、夫の要求に応じるというような感じだったが、顕著に変わっていった。

私が遅く帰ってきて、最後に風呂にはいって寝ようとすると、先に布団に真っ裸でもぐりこんでいて、私を喜ばそうとしたり、私が先に寝ていると、湯上りの全裸で私の顔を跨いで、ワレメを鼻先に押し付けてきたりと、どこかスポーツ感覚なのは否めないが、それなりにセックスを楽しむようになってきた。
まるで、子どもが、覚えた遊びに夢中になるように、私を楽しませることが、自分でも楽しくて仕様がないといった風だった。
もともと裕子は、好奇心が人一倍旺盛だということもあるでしょうが、私としても、次第に感度もよくなり、女として成熟していく裕子を見るのは嬉しかったし、子どもを産んでからのほうが、女は綺麗になるものだということがよく実感できた。

裕子を全裸で、少し脚を広げさせて立たせたまま、下からワレメを舐めようとすると、舐める前から感じて、それだけで息を荒げて蜜を滴らせた。この頃は必ず自分から、“舐めて!”と、要求してきた。
変われば変わるものである。ある時、初めて潮を吹いたことがあり、本人は失禁したと思って慌てたことがあった。違うということを教えてあげると
“ホントにあるんだね。すごい! 女体の神秘だ!”としきりに感心していた。
そんな裕子が3年前の、29歳の時にもう一つの大きな変化が起きたのである。

裕子は誰とでも友達になってしまうような性格なので、友人はいくらでもいるのだが、特に仲のよかった友達は、田中の奥さんの恵子さんと、フラダンスの先生で木村さんの奥さんの雅子さん、それに子どもの幼稚園で仲良くなった岡田真由美さんの三人だった。
雅子さんは裕子より5歳年上である。社長夫人で、社会的にも信用があり、趣味でフラダンス教室をやっている。人柄もよく、姐御肌なので面倒見がよく、裕子のことは妹のように可愛がっていた。
裕子も、姉のように雅子さんに何でも相談していたようである。
後から分かったことだが、裕子が布団の中で、裸で待っていたり、私の顔を跨いでワレメを押し付けてきたりしたのは、どうも、この雅子さんの入れ知恵だったようだ。