色は思案の外
14 色は思案の外
最後のティッシュ
2017/08/29 (火) 07:41
No.24924
秋晴れの心が洗われるような気持ちのいい土曜日
明日の日曜日は財布の中にある的中馬券を換金できそうだ

 気分が良過ぎる

会社のカレンダーでは休日になっているけど、僕の部署では何人か出社して机に向かっている
その中に伊藤と西岡がいるのだが、この二人と営業事務の女の子を含めた三人が貴重な後輩だ
僕が入社してから7年と半年ほどの間、何人か新人が入ってきたり転属されてきたけど結局残ったのは三人で
一番若い西岡が三年堪えてきているから、これ以上減る事はないだろう
「腹減ったなぁ・・・」
と大きな独り言を吐いたのは同期の村上で
「減りましたね」
と同調したのは伊藤だ
となると、ここは僕の出番か
「まぁ、だいたい12時だから飯にするか」
「まだ15分前ですよ」
 (西岡・・・ 空気読めよ・・・)
「四捨五入すると12時だろ」
 (村上、時間は二捨三入しろ)
ちょっと早目だけど机に弁当を出した

普段は休憩室を兼ねた食堂的な所で昼食を摂るけど、土曜の会社には自由がいっぱい詰まっている
伊藤と西岡は会社の前にある弁当屋の弁当だが
村上が出してきたのは愛妻弁当、先月結婚したばかりだ
要領よく休みを取って新婚旅行にも行きやがった
聞かされた惚気話から察するに、村上の新婚生活は僕が想い描き憧れていた新婚生活のようだ

「土曜だからゆっくり寝てろって言ったんだけどな」
 (それがどうした、凛子さんは日曜が出勤になっても弁当を持たせてくれるぞ)
「休日出勤でも愛妻弁当持ちですか、いいっすね」
 (おい!伊藤! おまえ僕にはそんなこと言ってくれた事ないよな!)
「俺らは共働きだから今まで通り弁当じゃなくてもいいんだけどな」
 (自慢気に出しといて何言ってるんだ・・・)
「もしかして家出る前にキスとかしてるんですか?」
 (それだ、いい質問だ)
「まだ新婚だからな」
 (このやろう・・・ スカした答え方しやがって)
「結婚ってどんな感じですか?やっぱり同棲とは違いますか?」
「どうかな、責任感ってやつは感じてるけどな」
 (なに格好つけてるんだよ)
「やっぱりそうなんですか」
「恋人から夫婦になったからな、恋人気分のままじゃマズイだろ」
 (僕の時はそこまで聞いてくれなかったよな・・・ 村上みたいなセリフ言わせてくれよ)
「野上さんはどうでした?」
 (おい・・・僕は話に参加してなかっただろ 察しろ)
「ウチは主任から嫁になったけど変わってないよ」
「わっはっは マジかよ、ウソだろ」
「さすが野上さん 期待を裏切りませんね」
 (よし、ウケた)

 (そういえば結婚生活の事あまり聞かれた事なかったな)

「しかし、おまえも今までよく生き延びてこれたな」
「ん?なにが?」
「あの伝説の主任と一緒に暮らしてるんだろ」
 (こらこら、勝手に伝説にするな 一年も経ってないだろ)
「他に誰と暮らすんだよ」
「息が詰まって窒息とかしないのか?」
 (なんてこと言いやがるんだ・・・)
「よし、おまえら今夜はウチで飯食え 嫁になった凛子さんを見せてやる」
「はぁ?冗談言うなよ、咲ちゃんが俺の帰りを待ってくれてるんだよ」
 (知るか)
「パワハラっすよ」
 (嫌がらせの要素は何所にも無いだろ・・・)
「さっき変わってないって言いましたよね、御勘弁を」
 (おい 変な断り方するな)

凛子さんは今日は料理教室の日だと言っていた
という事は、今頃はお昼ご飯かジムに向かっている所といった感じかな
「もしもし、どうしたの?」
久しぶりに会社で聞く凛子さんの声は何だか懐かしい感じがする
コミュニケーションアプリやメールじゃない、会社の携帯じゃなく僕の携帯を持ち三人の様子を窺いながら目の前で凛子さんに電話してやった
 (新婚病に侵されている村上は勘弁してやろう 僕に感謝しながら養生しろよ)
「二人連れて帰るけどいいかな?」
「今から?」
「仕事が終わってからだから7時前になるかな」
「私が知ってる人?」
僕が「二人」と言ったからだろう、目の前に並んだ三人の顔が緊張している
「うん、伊藤と西岡」
「あら、久しぶりね いいわよ ご飯用意した方がいい?」
「うん、お願い」
「分かった、楽しみにしといてね」
 (ん?楽しみに?)

通話を切り携帯を机に置くと満面の笑みを浮かべた村上が接近してくる
「前から思ってたけど、おまえ良い奴だな 食後のコーヒーおごるよ」
 (失礼な奴だな・・・ 前から思ってたけど)
生気を失った伊藤と西岡を置いて村上と自販機に向かったが
置いてきた二人の様子が気になっていた

 僕程じゃないけど二人も凛子さんに随分叱られてたからな
 そうだとしても、そんなに嫌がらなくてもいいじゃないか・・・
 携帯から聞こえてきた凛子さんの声はちょっと嬉しそうな声してたぞ

予定通り残業は一時間ほどで済ませ二人を連れて家に向かうが
僕の後ろに付いてくる靴の音は重い
後ろの二人の気持ちは分かる
凛子さんと付き合う前の僕なら二人と同じ気分だっただろう 今はそれでいいさ
「ただいま」
「おかえりなさい」
キッチンの方から声がする
そして、後ろに付いてきていた二人はまだ玄関の外だ
「いや・・・ そんなに怖がらなくても・・・」
思わず心の声を口から出してしまった
ゆっくり靴を脱ぐ二人を見届けた後、ダイニングを覗くと凛子さんはキッチンに立っている
「伊藤くんと西岡くんは?」
「あ、後ろに」
「お邪魔します」
「お久しぶりです」
「本当に久しぶりね 座って、直ぐ用意するから」
「はい、失礼します」
「宗太くん、手伝って」
「うん」
 (おまえら、なぜ凛子さんの顔を見ない・・・)
何所に座ればいいのか迷っていた二人を座らせた後、凛子さんが立つキッチンに視線を向けたのだが

 何だ、この料理は・・・

魚料理って事は見てわかるけど、焼いたような感じの上から何かのソースが掛っていて
色とりどりの野菜っぽい物が盛りつけられている
「これ何て料理?」
「ポワレよ」
 (ポワレ?餡かけとかじゃなくて横文字の料理か・・・)
テーブルにポワレとかいう魚料理の皿が三つ並んだ
 (あれ?凛子さんの分は?)
「さぁ、食べて感想を聞かせて」
「えっ!これって試食会!?」
「そうよ 最近、宗太くんは「美味しい」しか言ってくれなくなったでしょ」
「それは美味しいから・・・」
「伊藤くんと西岡くんが来てくれたのなら丁度いいわ」
凛子さんは立ったまま腰に手を当てている
「もしかして、自信あり?」
「さぁどうかしら 食べてみて」
「うん おまえらも食べたら正直に感想言えよ」
「はい・・・」
どうやら伊藤と西岡は記憶にある「吉田主任」とは違う事に気付いているようだが
記憶にある「吉田主任」が邪魔しているようにも見える

「あ、美味しいよ」
「もお、他に何かないの?」
「美味いです」
僕の次に伊藤が来たが
「それじゃ宗太くんと一緒でしょ もっと違う感想を聞かせてよ」
「本当に美味しいですよ」
そして西岡も・・・
 (何てことだ・・・ 三人とも同じ感想で全滅じゃないか、使えない奴等だ・・・)
「もぉ・・・ まぁいいわ ご飯がいい?ビールがいい?」
前に座っている二人の視線が僕に答えを求めている
「僕はご飯で」
この僕の一言で決まり二人も追従してくる
「お酒でもいいのよ」
「いえ、腹減ってるのでご飯お願いします」
 (そんなに、かしこまらなくても・・・)
後ろのキッチンから何かを焼く音が聞こえてくる
伊藤の視線は目の前の僕をスルーしてキッチンの凛子さんに向かっているし
西岡もチラチラと凛子さんを見ているようだ

 ふっ、これが嫁になった凛子さんだ
 一緒に仕事していた時とは違うだろ?
 髪も短くなってチョット肩にかかるぐらいになってるんだぞ、気づいているか?

四人での食事は前の二人はいつもより口数が少ないままで
僕も凛子さんの隣に座るという、いつもと違ったポジションで中々調子が出ない
そんな中でも気を使っているのか凛子さんは二人に話しかけ
僕らの調子が出てきたのはテーブルの上を片付け始めた時だった
「なんて呼べばいいんですか?」
「普通に「奥さん」でも何でもいいよ」
「奥さんの料理美味しかったです、ごちそうさまでした」
「ふふっ お粗末さまでした」
「先輩、見ました!? 奥さん笑いましたよ!」
「そりゃ笑う事もあるだろ・・・」
「二人はどうやって付き合い始めたんですか?」
 (やれやれ、今頃そういう質問かよ)
「私が宗太くんをご飯に誘ったのよ」
「そういう事だ」
「二人が付き合ってるなんて全然わかりませんでしたよ」
「もしかして会社の中でキスとかしてたんですか?」
 (そんな事できる雰囲気に見えたか?)
「会社には仕事に行ってたのよ、そんなことしないわ」
「そういう事だ・・・」
 (そういう事にも憧れてたよ・・・)
「ええー 勿体ないですよ」
「そうそう、折角の社内恋愛なんですよ」
 (そうだよな、そう思うよな)
「なに言ってるの お給料を貰ってるんでしょ、出社したら会社を出るまでは仕事の時間よ」
 (そんな身も蓋もない事言わなくても・・・)
「そこが良いんですよ」
「そうそう、周りが仕事してる中で物陰に隠れてっていう所が」
 (そうだよな、それなんだよ)
「君達ちゃんと仕事してるの?心配になるわ」
「してます してます」
「営業以外の事までやらされて万年人手不足なんですよ、会社に戻ってきてください」
 (おまえ・・・ 前に凛子さんが居なくなって会社に行き易くなったみたいな事言ってなかったか?)
「忙しい時でも先輩は部長と競馬の話しばかりしてますけどね」
 (西岡!余計な事言うな!)
「宗太くん」
「はい」
「何しに会社に行ってるの?仕事でしょ」
「はい、仰る通りです でも、まぁ・・・ あれは上司とのコミュニケーションの一環で・・・」
「度が過ぎてるのよ」
「はい・・・」
「何度も叱った覚えがあるけど、相変わらずなの? そういう所は直しなさい」
「はい・・・」
 (ほら こういう事には厳しいんだよ・・・)
「うわぁ、何か懐かしいもの見た気がします」
 (なに呑気なこと言ってるんだよ・・・)
「綺麗な奥さんに叱ってもらえる先輩が羨ましいっす」
 (おまえも一年前までは「吉田主任」に叱られてただろ)
「もう余計な事は言うなよ」
「一万円札をラミネートして遊んでた事もダメですか?」
「おい・・・」
「宗太くん!」
「はい!」
伊藤と西岡は爆笑しているが僕は面白くない
裏切り者達の申告により、何度か凛子さんに叱られた後は二人にはお帰り頂いた


僕はリビングで凛子さんを待っている
そして、一緒にお風呂に入った凛子さんは今髪を乾かしている
今日の凛子さんは僕を叱っている時以外は機嫌が良かった
なんとなく分かる
今夜は凛子さんの方からお誘いがありそうだ

 なくても僕の方から誘うつもりだけどね

髪を乾かし終えた凛子さんが一度リビングを覗いてキッチンの方に向かい
湯飲みを二つ持って戻ってくると僕の隣に腰を下ろした
誘いの言葉は無く控え目だけど、これが凛子さんからのお誘いなんだ
「今日はジムにも?」
「うん」
返事の声が少し鼻にかかった甘え声になっている
「あ、そうだ」
「どうしたの?」
「新婚旅行の代わりってわけじゃないけど、月末ぐらいに温泉にでも行く?」
「旅行?」
「そうだよ」
「仕事の方は大丈夫なの?」
「月末辺りなら大丈夫だと思う」
「それなら、その旅行が新婚旅行ね」
「あ、いや 新婚旅行は新婚旅行で海外とか」
「海外に拘らなくてもいいのよ それに、そんなにお休み取れないでしょ」
「そうだけど・・・」
「それでいいの、初めての旅行なんだから」
「うん・・・ でも、温泉は凛子さんにゆっくりしてもらおうと思っただけなんだけどな・・・」
「私に?」
「うん、朝起きてから寝るまで家事とかパートで毎日忙しそうだし」
「うん」
「それに、仕事がある日は日曜でも祝日でも弁当持たせてくれるし」
「うん」
「毎日ご飯の献立考えるのも大変なんじゃない?」
「うん」
「だから、たまには家事とか忘れて骨休めもいいんじゃないかなと思って」
「うん」
「ゆっくり二泊ぐらいできればいいんだけど」
「うん、そうね」
凛子さんからの返事が相槌ばかりになった
僕の期待を込めた推測だけど、この時の凛子さんは「甘えている」といった感じだと思われる
昼は淑女、夜は娼婦 という言葉があるけど凛子さんの場合は 昼は虎、夜は仔猫 といった感じかな
これが僕ら夫婦の形だ、付き合い始めた頃の凛子さんの容姿にばかり目を向けていた自分が恥ずかしい
今は何事にも一生懸命になる昼間の虎の姿に心底惚れている その前置きがあっての仔猫の凛子さんは魅力的だ
「今日はアイマスク使うよ」
「うん」
僕らの玩具はアイマスクの一択しかない 以前、凛子さんを怒らせてしまった時に他の玩具は捨てられてしまったからだ
しかし、この凛子さんの様子なら今夜買い直しの交渉をすれば良い返事をもらえそうな気がする
最近の僕は絶好調だ しかし、競馬が好調な時ほど凛子さんに叱られる事が多くなるのは何故なんだ・・・