非常識の妻は露出狂で好奇心の塊

[130] Re: 非常識の妻は露出狂で好奇心の塊  健太 :2022/06/26 (日) 13:27 ID:7oAWRwSc No.50880
 75歳の死に体様、人生の大先輩ですね。どうぞ、聞かせてください。
大先輩の性体験を聞きたいものです。

 それからすぐに私に彼女が出来ました。彼女と言っても年齢は52歳で人妻でしたが………。
私が28歳の秋です。妻は29歳でした。

 話は3か月前に遡ります。
私は前にも書いたように朝食は事務所の下のコンビニで買って事務所で食べていました。
昼食は事務所の休み時間から少し置いてコンビニで買っておいた弁当を一人で食べていました。

 その日は昼食の弁当を食べた後、私は用事が有って事務所の近くを車で走っていました。
事務所から少し離れたところに喫茶店が有るのを発見しました。
住宅街のはずれに有りました。
「こがいなところに喫茶店が有ったんか〜〜〜」
5台ほど停められる駐車場が有って三台ほど車が停まっていました。
駐車場に車を停めてドアを開けると、ドアにベルがぶら下がっていてカランカランと音がして、50歳過ぎの女の人が「いらっしゃいませ〜〜〜〜」
中に入ると左が駐車場で、小さな一人掛けの椅子が四つあって、その真ん中にテーブルが置いて有って、それが二組ありました。
テーブルの席に中年のサラリーマンが週刊誌を読みながらカレーを食べていました。
もう一つの席にはラフな格好をした60歳ぐらいの男が二人、大きな声で話をしていました。
右にカウンターが有って椅子が5脚置いて有りました。
入り口付近に小さな本棚が有って「少年マガジン、少年サンデー、少年ジャンプ」それから「週刊漫画、漫画サンデー、週刊大衆、週刊実話」などと一緒に「週刊ポスト、週刊現代、週刊文春」等が並んでおいて有りました。

 女の人は痩せていて、眼鏡を掛けてサイフォンを睨んでいました。
何処と言って取り柄の無い普通の女の人でした。
私はカウンターに座って「コーヒーを一つ」と頼むと眼鏡の奥から私をじっと見て「一人じゃけえ、一つ言わんでも分かる」と不愛想に言いました。
女の人はメンパンを穿いていて、上はハイネックのセーターを着ていました。
「おばさんがママ?」と私が聞くと「おばさんって誰の事よ」
「ご、ごめんなさい」
メニューに「喫茶 ムーミン 7時〜18時 モーニングサービス 7時〜10時」「休日 日曜祭日」
その下に「食事 カレーライス 焼き飯 スパゲティ 鍋焼きうどん そうめん(夏季限定)」
「コーヒー 紅茶 コーラ ファンタ、カルピス」などと書いて有りました。
 
 「どうも、ご馳走様」と私が立ち上がると女の人は私を見もせずに「またね〜〜〜」と言ったきりでした。
それから二日か三日して私はまたその喫茶店に行きました。お金を払う時になって財布がない事に気がつきました。
「まま、財布を忘れた」「いいわよ、いつでも」
私は腕時計を外して「まま、これで、今日の所は、明日金は持ってくるけえ」

 そして次の日に私は喫茶店に行きました。
ママが腕時計を出して「いつでもよかったのに、質屋さんにでも持っていこうかと思ってたのよ」
「アハハハ、こがいな時計じゃ大して金にもならんじゃろうに」

 そんな事が有って少し親しくなって私が週刊ポストを読んでいるとママがハサミを持って来て「あんた、これが要るじゃろう」
「週刊ポスト」には綴じ込みがあって女の裸が載っていました。
「あんた、こがいな本を読んで、シコシコするんじゃろう?」
「こがいな本じゃあ、立ちもせんがね、ヘヘヘヘ」
「あんた、年は何ぼね?」 「わしは29じゃが、ママは何ぼね?」
「うちはまだ52よね」 「まだ!ヘヘヘヘ」
「その笑い方は何かね」 「ヘヘヘ、ごめんごめん」
「あんた、名前は?」 「わしは上田健太言うんよね、ママは?」
「うちは、熊本悦子よね」 「悦子ちゃあ、喜悦の悦子かいね?」
「あんた、いやらしい事考えちょるじゃろう、お祖父ちゃんがつけた名前じゃけえ仕方ないんよね」
それから私はいつも昼食をその喫茶店で食べました。
私が行く時間は2時から3時の間で、その時間になると喫茶店はがら空きになっていました。
たまにお客さんがいても、日当たりのよい窓際の席でうつらうつらと舟を漕いでいました。
ほとんどはレトルトでしたが、それが結構美味しくて「ママ、カレー」

 そんな或る日、スーツを着た60歳ぐらいの人が来て入口に近いカウンターの一番端に座りました。
その男の人はなんとなくオドオドしてて、頭の前部が薄くなっていて、目をキョロキョロと泳がせて店の中を見ていました。
ママが笑いもせずに「あんた、何にするんかね?」
男の人はうつむいたまま小さい声で「カ、カレーでもええ」
「カレーでもええっちゃ、どういう事かね?はっきり言うてな!」
「カ、カレーがええ」
ママがガチャンとカレーを男の人の面前に置いて「はい、どうぞ」
男の人は雑誌を読みながら食べ終るとフラフラと立ち上がって出ていきました。
「ママ、今の人は誰ね?」「うちの亭主よね」
その男の人はそれからも度々来て「カレーでもええ」
「ママ、旦那さんの年は何ぼね?」
「うちより10歳年上じゃけえ、62歳じゃね」
「えらい年が離れとるんじゃね」
「まあね」
「結婚したんはママがなんぼの時じゃったんかね?」
「うちが23歳じゃった時じゃね、見合いしてね、うちはどっちでもえかったんじゃけど、あの人がうちに惚れてね、アハハハハ」 

 たまにママが「ふん、あんた、サービスしちゃげる」と言って大きな肉の塊を私のカレーの上にポンと乗せてくれたりしました。
或る日、私は生来の助平心を出して「この本はこの前のサービスのお返しじゃけえ」と言って会議所の先輩からもらった密輸品で無修正の黒人の男が二人で白人の女とさかっている写真集を見せました。
ママはカウンターの中で立ったまま写真集のページを捲っていました。
「ふん、いやらしい写真じゃね、これぐらいじゃったらあんたでもシコシコ出来るね」
「ヘヘヘ、まあまあじゃろ、どうかね、その本貸しちゃげようか?」
「要らん、要らん、うちははあおばあちゃんじゃがね」
「孫が居るん?」「そうよ、二人も居るんよね」
「そがいにゃ見えんがね」 「ふんうまい事言うて、今日は何も出んよ」「エヘヘヘヘ」

 そのころ、私は男がいない時は妻と一緒に露出写真を撮りに行っていました。
中国地方は行った所がないぐらいで、妻を裸に近い格好にさせては写真を撮りまくっていました。
喫茶店に行き始めて2ヶ月ほど経った頃でした。私と妻は日曜日に岡山県と鳥取県の境の蒜山高原(ひるぜんこうげん)に行きました。
なだらかな草原の中の道路を車がひっきりなしに通っていました。
道路を挟んで一階が土産物売り場で二階がレストランになった大きな建物が有りました。
私達は昼食をそのレストランで食べて「ねえ、利佳ちゃん、あそこの広い公園みたいなところで、ヘヘヘヘ」
「フフフ、あんた、パンティーは?」
「ここまで来たら、ヘヘヘ、誰も知った人はおらんけえ………エヘヘヘヘ」
「………それもそうね、ウフフフ」

 それから私たちはレストランの向かいの草原で、妻は下着を脱いでしゃがんでコスモスなどを摘まむふりをして「利佳ちゃん、もっと脚を開いてよ」
妻は辺りをキョロキョロと見回して「フフフ、あんた、これでいい?」と言いながら脚を大きく開いて、私は草原に這いつくばって「利佳ちゃん、ええ!ええ!」と言っていろんな角度から、写真を撮って楽しみました。

 そして月曜日の昼過ぎに喫茶店に行くとママが私の顔を見るなり「フフフ、私、見ちゃったのよね」
「えっ、何を見たん?」
「ウフフフ、私、昨日、蒜山に行ったのよね」
「えッ!」
「あの女の人、奥さんでしょ、きれいな人ね、ウフフフ」
「あ、あ〜〜〜〜〜」
「あのね、もっといろんな写真があるでしょ」
「有ることは有るけど」
「見せてよ、フフフ」
「えっ………あ、明日なら………明日まで待って」
「明日ね、フフフ、夕方がいいな、6時半ぐらいね、お客さんが帰ったあとね」
 
 その頃、私達の卑猥な写真は500枚ぐらい有りました。
写真は妻が年代ごとにアルバムに整理していて、アルバムは10冊ぐらい有りました。
写真の下には「1991年 新婚旅行 金沢の旅館にて」「1996年 山村夫妻と」などと書いて有りました。

 私はその中から比較的おとなしい写真を10枚選んで、大人しいと言っても妻のオメコも写っていましたし、私のチンポも写っていました。
新婚旅行の時に妻に撮られたチンポを浴衣から出した写真も有りました。
私はそれらの写真を選ぶときに手が震えるほど興奮していました。
「利佳ちゃんのこがいな写真をママに見せるんじゃ」
私はチンポを立てていました。立ったチンポを扱きながら写真を選びました。
それらの写真を封筒に入れて、私は翌日の夕方6時半に喫茶店に行きました。
夏でしたからまだ明るくて、私は駐車場に車を停めると辺りを見回して半分ほどシャッターが下りていたドアの隙間から「わし、ママ、ドアを開けて」
するとドアが開いてママがニヤニヤ笑いながら「いらっしゃい、何にする?」
私はそっと店の中に入ると「コーヒーを一つ」
それから封筒を取り出してママに渡しました。
その時もチンポは勃っていました。

 ママがシャッターを下まで下ろして窓ブラインドを下ろしてカーテンを閉めて私の隣に座って写真を封筒から出して「まあ、いやらしい!こんな写真!いやらしい!」私は「エヘヘエへへ」とぎごちなく笑っていました。
ママは丁寧に一枚一枚写真を見ていました。
私の浴衣からチンポを出している写真を見て「いやらしい、勃ってる」「エヘヘヘヘ」
「奥さんはいつも下着を穿いてないの?」「写真を撮る時だけは、エヘヘ、エヘヘヘヘ」
「ウフフフ、お股の毛が無いのね」
「学生時代にチアリーダーをしててね、それでね」
「ここは何処?」「ここは○○駅」「まあ、すぐ近くじゃないの!」「エヘヘヘヘ」
「ねえ、健太さん、もっといろんな写真、有るでしょう?」
「エヘヘへ、明日、また持ってくる」
「フフフ、待ってるわよ」

 翌日も私は写真を、今度は妻と男がオメコをしている写真と私が山村夫人や杉田夫人とオメコをしている写真など20枚ほど持って喫茶店に行きました。
いつもならママはメンパンかGパンを穿いているのにその日はなぜかスカートを穿いていました。
妻には残業だと言ってあります。

 私はビンタの一つや二つは覚悟して私の隣にママが座りかける寸前に椅子の上に手の平を上にしてそっと手を置きました。
ママが気がつかずに私の手の上に座りました。
その時、ママは小さな声で「キャッ」と叫びましたがそのまま私の掌の上に座りました。
ママの体重が私の手の平に感じられました。
私は安心して指をコチョコチョ動かしました。
ママは困ったような顔で眼鏡の奥から私を見上げて「駄目よ、あん、だめえ〜〜〜」と艶めかしい声を上げました。

 「ママ………もうちょっと脚を開いて」
「駄目、私は奥さんなのよ」と言いながら少し脚を開きました。
私はもっと大胆に指先を動かしました。
指先にパンティーを感じました。
「ね、ね、ママ、写真を見て」
私は妻の恥ずかしい写真を見られると思ってチンポを大きく硬くしていました。
ママは「ハア、ハア」と荒い息を吐きながら封筒を開いて写真を見始めました。
私は指先をコチョコチョと動かしていました。
パンティーが何となく湿り気を帯びてきたように思いました。
「すごい、あ〜〜〜、いやらしい、あんた達、あ〜〜〜〜、こんな事をして、あ〜〜〜〜、すごい」
私は指先を動かしながら「どう?この前の本とどっちが面白い?と聞きました。
「この前の本は、あんた、外人じゃったけえ、ピンとこんじゃったけえ、奥さんの写真の方が、あ〜〜〜、生々しゅうて、いやらしい、うちは、あ〜〜〜〜」
私はパンティーの上から小さな突起の辺りをコチョコチョとやっていました。

 ママは何度も繰り返して写真を見ていました。
「すごい、すごい」
しばらくしてママが立ち上がって「ちょっとオシッコ」
しばらくしてママが帰って来ました。
私は再び椅子の上に手を置きました。
ママは私の手を見ても黙って椅子の上に腰を下ろしました。
手の平にザラっとしたものを感じました。
それは陰毛でした。ママは下着を脱いでいました。
 
 「ママ、ウフフフ」 
「あん、だめ、だめよ」と言いながらママは目を瞑って唇を突き出してきました。
私はママのお尻の下の手はそのままに片手でママの乳房をまさぐりながら唇を重ねました。
ママは「ハア、ハア」と荒い息を吐いていました。
私はその時チイさんが言った言葉を思い出しました。
「どがいな女でも男に抱かれたがっちょるんじゃがね」

 ママの脚が少しずつ開いていきました。私は乳房を揉んでいる手を下に持っていって、今度はオメコを触りました。ママのオメコは濡れに濡れてもう洪水のようになっていました。
「あ、あ、あ〜〜〜〜、ね、ね、あんた、あんた〜〜〜〜」
私はわざと「なに、なに、ママ、どうしたの?」
ママがズボンの上から私のチンポを握ってきて「これが、あ〜〜〜、欲しいの〜〜〜〜」
私はママの下の手を抜いてズボンのファスナーを下ろしました。
それからベルトを緩めてパンツの中からチンポを出しました。
ママがしっかりとチンポを握って「これ、これ、ねえ、あんた、健太さん、健太さん、これが欲しいいの」
「ママ、オメコがしたいって言って」 
「そんないやらしい事、健太さん、そんな事言えない」
「じゃあ、このまま帰るよ」 「いや、あ〜〜〜〜〜、オメコ、オメコしたいの〜〜〜〜〜」
「チンポ、嵌めてって言って」「オチンチン、嵌めて、あ〜〜〜〜、いやらしい〜〜〜〜」
「オチンチンじゃ駄目、ちゃんと言って」
「チ、チンポ、チンポ嵌めて欲しいの〜〜〜〜〜〜、いやあ〜〜〜〜〜〜」